働きたくねえ社畜パパの子育てと仕事の奮闘記!水面下でセミリタイアを目指す。

子育てと仕事を両立している働きたくない社畜パパです。社畜脱出を願いセミリタイアの実現にも取り組んでいくブログです。

【仕事での本気の指導は経営者の理屈】どこまでいっても部下・同僚は他人である。

働く前には、それほど労働が嫌いではなかったが、社畜になり現実をすることで、労働というものに絶望している社畜パパのバイルです。

社畜歴10年以上のベテラン。
飼い主(経営者)の綺麗事、絵空事に振り回され続けて、目が覚めた30代労働意欲が低いどうしようもない社畜でもある。
今日は社畜業にはつきものの「教育・指導」に焦点をあてていく。

①「相手の事を考え指導せよ。」と言うが・・・

 

相手の立場になり指導する。
相手の幸せを願い教育する。
当たり前であり、教育・指導のセオリーとも言える。


だが、冷静に考えてみたら「相手の立場・幸せ」なんて簡単にわかるはずもない。
たかが、仕事だけの関係で、どれだけの人が本音で話しているというのだ。

多分、ほとんど人は本音など話さない。
変に思われたくないため、無難な話だけしかしない。


私もそうだ。
会社で「働きたくねえ!」「セミリタイアが夢」「資産運用」をしているなんて口が裂けても言わない。


あやまって口を滑らすと、何を言われるかわかったものじゃない。
これは私に限った話ではない。


多分、ほとんどの人が自分を隠して生きている。
社畜として正しい行動である。

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つまり「相手の立場」「相手の幸せ」なんてものは絶対にわからないのである。


相手の立場、気持ちを考えるというスタンスは正解であるが、実際になれるかと問われると、なれないのが現実だろう。


いつの世も、「理想と現実」は違うのである。
目指すのは「理想」かもしれないが私たちが生きている世界は「現実」である。


そこを理解していないと理想に溺れるか、現実に打ちのめされることになる。

どこぞやの英霊様がいっていたな。
理想の中で溺死しろ!

②会社の利益にならないことはしてはダメ。

 

「本人の利益や将来ではなく、会社の利益・将来についてでないと教育・指導してはいけない。」
という条件がある時点で負け戦決定である。


この後の章でも類似したこと書くが、誰がそんな都合の良い教育・指導に共感するのだ?
それは、教育でも指導でもなく、洗脳・誘導などと言葉を変えた方が良いのではないかと思う。


そもそも会社の利益という部分に、目的が集中している時点で教育・指導の柔軟性は失われる。
中には相手の性格・個性を否定しないといけない場面も出てくる。

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だが、性格や個性を否定することは、社会的にもNGでもあるし、教育・指導マニュアル的にもアウトである。
すなわち、教育や指導というのは絵空事であって現実的ではない。


現実にあるなら私をどうか導いて欲しい。
心底「働きたくない」と思っている労働意欲が低い「コミュ障」の私に適切な教育・指導を施してほしい。


多分それは無理である。
無理と言うよりも「ない」というほうが正しいかもしれない。


「働きたくない」人に対して、働くことの素晴らしさや、スキル向上を説いたところで伝わるわけもない。


嫌いな食べ物、アレルギーと同じである。
無理なものは無理!
イヤなものはイヤ!
なのである。


理屈ではない。
信念である。
あきらめてくれ!
それだけ!

③働く理由・価値観や入社経緯も人によって違う。

 

教育・指導とはなんだ?
相手によりそって、相手にとって最善のことを考えることではないのか。


ならば、相手によって目標・欲求・価値観は違ってくる。
それに、入社した経緯も人によって違う。
その会社・業種が良くて入社した人、たまたま採用になったから入社した人、他にやりたいことがあり今だけ入社した人。

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このように入社の動機・経緯は千差万別である。
そんな、人たちを一律に指導などできようはずもない。
当然飼い主(経営者)は会社にプラスになることだけの教育や指導を求める。


そんなことは土台無理なのである。
教育・指導をする前の段階で、会社にプラスになるという前提条件があるだけで、全ての教育・指導は破綻する。


私のように「働きたくねえ」「セミリタイア」が、目標だ!
という人を会社はどのように教育・指導するのか。


どのように労働意欲低い私を教育・指導するのか?
できるはずもないのだ。
だって「働きたくねえ」から。

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つまり、私は教育・指導などはする気も、受ける気もない。
必要は教育・指導は自分で学ぶ。


社畜歴が長くなると教育・指導を任されることもあるが、せいぜい私がするのはマニュアルを伝えるぐらいのものである。


仕事の姿勢や考え方に口を出すことはない。
価値観・目標・経緯などは人によって違うからである。


私自身が身をもって体験しているから、わかるのである。
上司に何度も、何度も仕事の考え方・姿勢などについて熱く(うざく、長く)語られたことがあるが私の心には全く響かない。

うるせえぇ うぜえぇ 知らねえよ ばかやろう!といつも思っている。


何度もブログで発信しているが私は「働きたくねえ」ですよ。
それを理解して欲しいのだが、言葉にするとまずいというのが世の常である。


残念ではあるが、リタイアするまではついてまわる痛みである・・・

④そもそも会社がコンプライアンスを守ってない。

 

愛情を持って教育・指導せよ!
相手のことを思ってぶち当たれ!
と綺麗事を会社は言う。

だが会社は社畜(労働者)に対して愛や優しさ、思いやりを持って接してくれているのか??

答えは「NO」である。
そもそも最低限のコンプライアンスすら守らないのが会社である。

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「過労死」「うつ病」などで問題が起こると、サービス残業、過重労働は現場で起こったことであり、会社の指示ではない。
などと平気で嘘をつく。

下手をすれば、その現場の責任者の管理責任を問うこともある。
なんてヒドイ話だろうか。

そんなバカな話があるものか!!

なにゆえ、金にもならねえ仕事を社畜(労働者)がするんだ!
そういった命令があるからイヤイヤやってるのである。


飼い主(経営者)とはそういうものである。
ならば、社畜(労働者)の私が忠誠を誓う必要などどこにもない。


あるのは、法律内でクビにならない程度に労働力を提供するぐらいである。
大切に扱っていない人に対して、人に優しく・思いやりを持った行動を促しても心に響かないし、説得力もない。

なにをいってんだ!!都合の良いことばかり言うんじゃねえ!ばかやろう!となる。


信じるな!飼い主(経営者)は社畜(労働者)を部品ぐらいにしか思っていない・・・

⑤愛の指導とハラスメントは相反する関係。

 

愛の指導に行き過ぎはない。
だから、仕事では不適切である。

相手を心から思っての指導であれば、考え方や私生活などにも入っていかないと意味がない。


だが、そうなるとハラスメントの問題にぶち当たる。
趣味、お金関係、人間関係、家族関係など人の基礎はその部分が大きい。


大きい部分に関してアプローチしない限り深い指導はできない。
でも、そんな深い部分を聞くことは仕事の範疇を逸脱する。
すなわち、仕事での教育・指導というのは薄っぺらい上っ面で、留めないといけないということ。


踏み込んだ教育・指導とハラスメントは対極にある。
だから、極論相手のことを思っての教育・指導なんてものは仕事上ではしてはいけないということ。

ただし、その場合の教育・指導効果は薄い。当然である。

突っ込んだ教育・指導は訴訟を起こされたら終わりである。当然、飼い主(経営者)は守ってくれない。
お得意の「トカゲのしっぽ切り」である。

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そうならないために、社畜(労働者)の私は、自分の身を守ることを常に考えながら仕事をしている。
大事なことなので繰り返す。
飼い主(経営者)は守ってくれない。

⑥私が今まで受けた教育・指導。(立場だけ)

 

経験からであるが、しょせんは人のすることである。
だからどこまでいっても利害が絡む。
あなたのため。あなたを思って。というのは嘘である。(本気でそんなことを思っているのは親ぐらいだろう)


私の成長(成績)によって上司が評価されるだとか、上司自身が叱責を受けるだとか、そういった気持ちが裏に隠れているのがわかる。

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その証拠に、部署が変わったり、退職したり、上司の部署が変わると一転して関わることもなくなるし、むしろ昨日までとは逆のことを言うかもしれない。
(営業の人がと経理・総務に転属すればはありがち)

営業と経理・総務は基本的に利益が相反している。


何だかんだいっても、立場や部署が変われば人の発言はコロコロ変わる。
だから人の教育や指導なんざ真剣に聞いちゃいけねえ。


本当に自分にとって必要なこと、関心のあることなら誰だって自然と真剣に聞く。
それが答えである。


たいがいの人は自分のことしか考えていない。
(私もそうである)
というか人のことまで構っていられねえというのが実状。
それに、人のことを構うほど余裕のある人が世の中にたくさんいるだろうか。

多分いない。
ほとんど人は自分のことで頭がいっぱいである。


つまり、私のような社畜は飼い主(経営者)や上司からの教育・指導という類のものには疑ってかかったほうが良いということ。

そうでないと知らず、知らずに洗脳される。

私は今でも新入社員のときの洗脳が解けずにいる。頭でわかっていても、身体が反応するのだ。今でも繁忙児には「休憩とっても良いのか?」「早出出勤しないとといけないのか?」「サービス残業いるか?」みたいな思考になる。

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ある意味「呪い・呪縛」に近いと思う。
その呪縛を断ち切るために日々邁進しているのが今の私の現状だろう。

⑦どこまでいっても「働きたくねえ」

 

何やら働くのは面倒な世の中である。
それに、どこまでいっても社畜というのは、会社、経営者の言いなりである。

例外はない。
そういった「しがらみ」を解決する方法は「働かない」ことである。

勿論、私は「働きたくねえ」。

結局私はブログで何を発信しても最後に行き着く先は「働きたくねえ」なのである。
毎日の仕事に対して労働意欲が低い、やる気がないのも頷ける。

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日本人はとかく働いていない人に対して冷たい社会である。それでも私は「働きたくねえ」。

それに、仕事を尊いとは思わない。
自分の身体を犠牲にし、家庭・家族を犠牲にしてまで価値があるとは到底思えない。

これは私だけではないはずである。
だから、一刻も早くセミリタイアしたいのである。


時間があれば人生の選択肢は増える。