働きたくねえ社畜パパの子育てと仕事の奮闘記!水面下でセミリタイアを目指す。

子育てと仕事を両立している働きたくない社畜パパです。社畜脱出を願いセミリタイアの実現にも取り組んでいくブログです。

子供は親を無条件で愛する。そこに理由はない。親はそこに甘えていないだろうか?

バイルです。
子供は無条件で親を愛してくれる。
本能だと思う。

 

無償の愛は親子で循環している(*´∀`*)

 

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ただひたむきに親を愛してくれる。
親も無償の愛で応える。

 

 私もそうありたいと願う。

  

だが果たして本当にそうかと最近疑問に思ってしまった。
子供が親を想う気持ちに疑問はありません。

 
ですが親の私はと問われると素直にひたむきに子供を愛しているとは言えないかもしれません。

 
その理由は子供のそのひたむきな愛に甘えてしまっているように思います。

  

子供に愛されること。
子供に求められること。
子供に喜ばれること。

  

 本来は尊くてかけがえのないものです
それが日常の当たり前の光景になっていることで感覚がマヒしてしまっているのです。

 

 そのため些細なことできつく当たったり、乱暴な口調で叱っていることもあります。

 

 子どもの模範になる親がそんなことをしてはいけませんよね(´ε`;)

 

人間なので過ちをあります。
完全な人などいません。

  

子どもには教育してくれる人がいます。
親がいます。
周囲の大人います。
友達もいるでしょう。
教師もいます。

 


ですが私たち大人の間違いを正してくれる人はいません。

 行き過ぎた育児。

間違った育児をしていても誰も指導・教育をしてくれません。

 

 子どもも、親に対して育児の方法が間違っているなどと教えてはくれません。

 

 例え私が娘2人に対してヒドいことをしても悲しむことや傷つくことはあっても私を恨むことはないでしょう。

 

 子どもは無邪気で純粋です。
私たち大人のように他人のせいにはしません。

 

どれほど冷たくされても。
ヒドいことを言われても。
無視をされても。

 

子どもは自分を責め。
自分を悪い子だと思う。

 

どんなヒドい親であっても笑顔で愛し続ける。
それが子どもです。

 

親を止めてくれる人はいません。
親を教育・指導してくれる人もいません。

 

仕事だと上司が指導及び監視しています。(社畜のわたしは気に入らねえぇー)

  

だからこそ定期的に私は自分の行動・言動を厳しく見つめ直すようにしています。

そうしてないと子どもの愛に甘えてしまい間違っていることに気づくことが出来ないまま育児を行うことになります。


それが一番怖いです。

とはいってもたまに娘に言い過ぎたかな。
ちょっときつすぎたかな。
といことはあります。

 

そんな時でも娘は満面の笑顔で私を許してくれます。
心が罪悪感でズキっと痛みます。

 

ですがその痛みがある内は大丈夫なのかなと勝手に自己完結しています。