【がむしゃらに働くこと卒業します!】社畜の本質を知ったら怖さしかねえ。
バイルです。
「がむしゃら」に働くことを卒業します。
苦節10年。
私は「がむしゃら」に真っ直ぐに働いていた。
サービス残業。
休日出勤。
会社のプラスになることをどんどん取り入れた。
時には15時間労働の後に持ち帰り残業までしていた。
まさに死力を尽くして仕事に当たっていたといえるだとう。
だが・・・
何のために?
という疑問が年々強くなっていった。
周囲には同じように死力を尽くし、自分の発揮できる能力・時間を全て捧げている人もいた。
それが普通だという風潮もあった。
それでも私の疑問は年を重ねるごとに増していく一方だった。
全てと懸けて戦った社畜を、使い物にならなくなれば簡単に切り捨てていく飼い主(会社)の姿を、何度も見れば普通疑問を抱くだろう。
でも疑問を抱かないのが社畜である。
過労で体調不良を訴えた社畜を左遷。
病気で働けなくなった社畜をあっさり解雇。
(やめさせるように持っていく)
激務で体を壊した社畜を降格、交代。
その様を私は幾度となく見てきた。
さながら車検で車の部品を取り替えるような感覚である。
私は悟った。
わかっていたが認めるのは、やはり悲しい。
社畜はどこまでいっても、会社の歯車(部品)でしかない。
歯車(部品)が不調を訴えれば交換するのが世の常である。
悔しいが致し方ないと思う。
現実問題、動けなくなった社畜を置いておく余裕なぞどの会社でもないだろう。
すなわち社畜(社員)と飼い主(会社・経営者)は相容れない関係なんだと思う。
だから私は今日はっきりと表明する。
「がむしゃらに働くことを卒業する」と!!
もう飼い主(会社)に対する忖度なんぞしねえぇぞ!!
・当たり前に真面目に働くこと。
・社会人としての責務を果たすこと。
・飼い主(会社)に従うこと。(法律の範囲内)
それは変わらず果たしていきたい。
同僚と話しているといつも違和感があった。
「ウチは・・・」
(ウチじゃねえよ!会社だよ!)
「オレの会社は・・・」
(何をそんなに自慢気に。)
「我が社は・・・」
(あんたの持ち物じゃないよ!気をつけな!)
「僕の支店は・・・」
(だから!会社だっていってるでしょう)
と私はいつも心で突っ込んでます!
会社は自分の持ち物でも、家でもない。
使うことがあるとしたら社外で「弊社」と説明するぐらいのもんだろう。