【何事にも余裕が必要。】遊び心や柔軟性がなくなると人は人でなくなる。
バイルです。
長時間労働は心も体も疲弊させる。
そんな状態で健全な家庭など築けない。
だから私は労働が嫌いなのだ。
長時間労働が是正されない限り私は労働批判を続ける。
働きたくないと毎日思っている社畜パパである。
今日は何事にも余裕が必要との話。
時間にも余裕があるほうがいい。
お金も余裕があるほうがいい。
心にも余裕があるほうがいい。
何をするのにも余裕があるほうがいい。
車のブレーキにも遊びがある。
橋の強度にも余裕がある。
消費、賞味期限にも余裕がある。
保存温度にも余裕がある。
何でもそうだ。
この「余裕」というのを人は忘れていないだろうか。
特に社会人に顕著であると思う。
例えば・・・
コンビニやスーパーでレジで少し待たされると「早くしろ!」と怒ったり。
店員の態度が悪かったら「何だその態度は!」と怒鳴ったり。
人混みで、少し肩や身体が当たったぐらいで「ちっ!」と舌打ちしたり。
労働中に誰かが、ちょっとしたミスをすると「はあーーーーーー」と大きなため息をついたり。
忙しかったりすると、途端にイライラしたり、人に当たったりする。
車やバイクの運転中にちょっとした割り込みや、クラクションをならされただけで暴力行為に及んだり。
と心に「余裕」がない人が世の中に多すぎるように思う。
傍で見ていると不快だし、被害にあったときには最悪の気分になる。
だが、冷静に考えてみれば一番の不幸な被害者は「余裕」がない人たちである。
そんな負の感情に支配されて人生を歩むのは辛すぎる・・・・
最近はそう思うようにしている。
そう考えると心が広くなり寛容になれる。
人間ちょっと遊び心があり、柔軟性があったほうが良いと思う。
どんなことがあっても笑い飛ばせるぐらいで丁度良い。
イライラして、負の感情に支配されると、人は人でなくなると思う。
私はそうなりたくない。
うーーーん。
それにしても「余裕」のない人が多すぎるように思うのは私だけだろうか・・・・
やっぱり、労働が辛すぎて人格が壊れているんだろうか。真相はわからないが、私は働きたくない。