働きたくねえ社畜パパの子育てと仕事の奮闘記!水面下でセミリタイアを目指す。

子育てと仕事を両立している働きたくない社畜パパです。社畜脱出を願いセミリタイアの実現にも取り組んでいくブログです。

これからの時代、社畜サラリーマン労働だけでは、心も体も壊されますよ。

バイルです。
労働というのは全てを奪う。
やっぱり毎日8時間は働きすぎだな。
そろそろ週休3日で6時間勤務という、求人募集が出てきいても良いのではないだろうか。

長い時間は、働きたくないんです。

今日は、社畜サラリーマンだけの危険性についてのお話。そんなことを日々感じながら私は働いている。
だから、労働が嫌いなのだ。

社畜サラリーマンという身分の致命的な弱点。

 

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社畜サラリーマンには自由はない。
いくら虚勢ををはっても、会社が首(解雇)といえば遅かれ早かれそうなる。

勿論、中には徹底抗戦を訴え弁護士を雇い戦う人もいるかもしれない。だが、大多数の人はそんなことはしない。

泣き寝入りすることがほとんどだろう。


生殺与奪について、全て会社に握られているのが社畜サラリーマンの、致命的な弱点であり、限界であると思う。


例え、リーダーになろうが部長になろうが社畜である限り本当の意味では、会社には逆らえない。

たまに、劣悪すぎる労働環境の中で頭がおかしくなったのかはわからないが、こんな発言をする人がいる。

「俺はな、気に入らんことがあったら社長だろうが、誰だろうが関係なく文句を言う。」みたいなことを言う人がいるが、それは勘違いである。


理不尽なことがあっても、我慢して耐え抜いているから社畜であり続けるのだ。

我慢なくして、社畜サラリーマン業はつとまらんよ。

そもそも、人から我慢をとったら、労働なんて苦行が出来るはずもない。


誰が、毎日に起きたくもない時間に強制的に起こされ出社するのだ。それだけで、我慢しているといえる。

すなわち、社内でそんな「俺は誰だろうと・・・・」みたいな発言をする人がいれば、それはただ、権力には屈しないキャラ作りをしているに過ぎないということ。


まあ、まともに相手しても面倒なので「すごいですね~」といでもいっておけば喜ぶ。

豚もおだてりゃ木に登るということだな。

 

②今後の会社の在り方。

 

 

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少子高齢化が進む現代。

確実にどの業界でも売上げは落ちていく。

日本だけでビジネスを展開している会社は例外なく落ちていくだろう。


今後はリストラ、給与カットが当たり前になる。

それに労働者としては、ありがたいことだがブラックな勤務も許されなくなっている。

私が勤めている中小企業にはブラック勤務が存在しているが、20年前ほど大っぴらには出来ない。

そのため、収益力の低い中小企業はさらに追い込まれることになる。昔は奴隷のように社畜を扱い、ブラックマンパワーで収益を拡大したが現代では許されない。

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だから、今後の中小企業勤めの社畜サラリーマンの状況は一層厳しくなると確信している。

多分これから10年でさらに給与面や雇用の安定という部分では、マイナス局面になると思う。

むしろ、勤務先が10年後存在しているかさえ、怪しいところである。だって、ここ数年業績が下がり続けているのだ。

③働くことはそんなにも尊く、素晴らしいのか?

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働くことは尊い、素晴らしい。
誰がそんなことを言ったのだろう??
きっと間違った解釈で伝わっているのだと思う。


結果、働きすぎて過労死。
心身ともに消耗して「うつ病」を発症。
長時間労働で病気、体調不良。
家庭を顧みずに家庭崩壊。


なにゆえ、労働に人生を壊されなければならない?
体や生活を犠牲にされなければならない?

逆である。
人生や生活の延長戦に、労働があるだけだ。

それが、どこで間違ったのか労働が人生の目的みたいになっている。

長時間労働の先には何もない。
あるのは、精神疾患や病気、人生の破綻だけである。


適度な労働による、社会貢献は素晴らしく、尊いと思う。だが、自分を犠牲にしてまで社会貢献することを良いなんて全く思わない。

私は常々そう思っている。

④誰にでも必要な「セミリタイア」という安全地帯。

 

これからの時代は誰もが「セミリタイア」を意識することが大事になると私は、勝手に思っている。


何も「セミリタイア」が全ての人に正しいと断言するつもりはない。当然その人にあった生き方もあるし、価値観もあるだろう。


しかし、いつでも「セミリタイア」できますよ。という状態に価値があるのだ。「セミリタイア」というのは、「安全地帯」である。

「安全地帯」が常に隣にあれば、辛いこと下らないことがあっても、すぐに待避することができる。

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それは、とっても素晴らしいことだと思う。
労働をしていて辛いのは、上司のパワハラブラック会社長時間労働などがある。


それに上乗せされて将来のへの不安や、このイヤな時間が定年まで続くのかと思うと、絶望しかない。
その苦しみの方も辛いのだ。

人は一時の痛み・苦しみは乗り越えることが出来る。
そこに、少しでも希望の光が見えていれば人は絶えることができる。


でも「セミリタイア」という選択肢がなかれば、労働環境が劣悪になれば先には「絶望」しかない。


そういった状況にも、冷静に対応できるように誰もが「セミリタイア」というのを目指すべきだと私は思っている。

さならが、心のATフィールドですな。
ちょっと古いな・・・・
さーせん

⑤私は何が何でも「働きたくねえ!!」

 

ここからは、私の心の叫びである。
私は「働きたくねえ」のである。
これは、経験により裏付けされた信念であるので、今後も価値観が変わることはないだろう。

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とんでもないことがあれば、価値観が変わることもあるのかもしれないが、今以上に労働を嫌いになることはあっても、好きになることはないと思う。


何度もブログで発信しているが、とにかく社畜がイヤなのだ。
自由はない。
給与は自分で決められない。
出勤日、時間も決められない。
さらに、会社の業績が悪くなればいろいろカットされる。

しまいには解雇である。


そんな身分に何の魅力も感じない。
エリートと言われようが、そんな物はドングリの背比べである。

それに、最悪な上司や同僚と働くことになれば一気に労働環境は悪化する。

だから、私は常に怯えている。

そういった、いろいろな「しがらみ」を考えると、「働きたくねえ」としか思わないのである。


今日も私の同僚が上司に罵倒されているという噂を聞いた。
なにやら
「やめてしまえ!」
「役立たず!」
みたいなことを言われているらしい。

恐ろしい話である。明日は我が身だと思うと切なくなる。


働きたくねえーーー
会社はやめてーーー
と今日も安定の労働意欲の低い社畜パパである。