【時間の大切さ】休日の学生を見て感じる、夢中で生きることの美しさ。社畜にはない輝き。
バイルです。
休日の駅前やテーマパークでの、学生たちの輝きは半端ねえ!!
夢中で生きている。
真剣に遊んでいる。
きらきらとしている。
そこに、明日のことを気にしている様子はない。
心が楽しさで溢れている。
ある、休日に私はその光景を見て思った。
社畜になってから、時間に余裕がなさすぎると・・・
社畜になってから、思い切り遊んだ記憶がないなと・・・
それに、学生時代によく感じていた「暇だな~ 何をしようかな」という時間がないことにも気付いた。
社畜の思考に洗脳されているのである。
長編のゲームをやるかな?(50時間以上)
釣りでもするかな。(1日中)
スポーツでもするかな。
などと時間と労力が多くかかることを、自動的にシャットダウンしている自分がいる。
これこそが、社畜思考である。仕事に悪影響を及ぼすことはしないようにプログラムされているのである。嘆かわしい・・・
社畜生活に学生時代の輝きはあるか?
同じように夢中になれることはあるか?
ない!!
断じてない!
1日中、終わりのない作業に悩殺され(中には不必要なこともある)社畜残業で心身共に疲れ切る毎日。
当然、休日には、その社畜残業のダメージが残っているので、休日の半分は休養に消える。
おおむね、こんな日常。
そんな、日常を望んでいたか?
当然望んでいない。
何が問題か?
上司のパワハラや理不尽な仕打ちなど、いろいろあるが、1番の問題は、圧倒的な拘束時間である。
準備時間と通勤時間を含むと、出勤の日は12時間以上は拘束されていることになる。
ひどい場合には、15時間以上もある。
そんな状態ではそら人間らしい生き方なんぞできるわけもない。
これだけの時間を拘束されていては、何もできん。
時短術や、休日の有効活用など考えるだけ無駄である。
それよりも、圧倒的に拘束されている今の状況を打破するしかない。
すなわち「セミリタイア」である。
セミリタイアをして、時間的に余裕のある仕事(収入は大幅に減る可能性もある。)を選べばきっと、学生の頃のように、したいこと、やりたいことに熱中できるようになると確信している。
そのためには、やはりお金である。
お金さえあれば、すぐにでも実現できる。
お金さえあれば・・・
お金さえあれば・・・
とグチりながら、今日も社畜残業をしている自分がいる・・・
情けない・・・