【0歳児と3歳児の同時育児の大変さ!】かわいいは正義!というが親の苦労はそれを上回る。
日々育児を奮闘する社畜パパのバイルです。
育児は本当に大変。
といっても、結局は育児は妻がしているのだが。
ここは、絶対に勘違いしてはならない。
いくら、労働以外の時間を熱心に育児をしても、日々育児を見ている妻よりも大変な思いはしない。
必ず覚えておく。
それにしても育児は大変だ。
だからこそ、夫婦で力を合わせて乗り越える必要がある。
特に私のようなパパが、育児に積極的な場合とそうでない場合の夫婦の中での「信頼関係」「絆」は、年齢を重ねるごとに、大きなものになると確信している。
周囲の方(子育て卒業世代)も、乳児育児の時の旦那の態度・行動は一生記憶に残ると言っている。
だから私は育児に力を入れることを決意している。
車の部品のように社畜を、切り捨てるような飼い主(経営者)なんぞに忠誠を誓う気なんざ全くない。
さて、気を取り直して同時育児の大変さについての話しに戻ろう。
①0歳児と3歳児の同時育児の大変さ。
同時に育児をするのは至難の業である。
1人を育てるのとは全く違う。
大変さ、過酷さも段違いである。
乗り越えるためには、パパの育児での理解と活躍が重要であると思う。
昔のような「男は仕事!女は育児!」は通用しない。
子供が2人いるなら尚更、パパは育児で活躍する必要がある。
今日は、そんな0歳、3歳の同時育児の大変さについての話をしたい。
②0歳児ばかり構っていられないから、育児は大変なんだ。
0歳児だけの育児に集中できれば、それほど育児は過酷ではない。
確かに夜中のミルクや、ぐずりをあやすことは大変ではあるが、何とか夫婦で頑張れば乗り越えることができる。
何が大変かというと、0歳の子ばかりに構っていられないということである。
乳児育児中でも3歳児の育児もある。
生活していくため、生きていくための家事や雑事もある。
それが育児と重なることが大変なのだ。
仕事をしている人なら、長時間労働という恐ろしい疲労、ストレスもある。
専業主婦なら様々な家事やイベント、近所つきあい、子供の何かしらの手続きや買い出しなどやることは山のようにある。
そういった、小さな事がたくさん、たくさん積もってママもパパもキャパオーバーになり心身共に消耗して、おかしくなってしまうのである。
私の経験という浅い範囲であるが、育児ノイローゼというのは、育児だけが関係しているのではないと思う。
同時に労働、家事などが重なるから起こるのだと思う。
育児だけを単一でしていて不調を訴えることは、稀であると私は勝手に思っている。
③3歳児には「自分でして!」と親は求める。
つい親は3歳の娘に出来ることは「自分でして!」と要求してしまう。
それが悪循環のはじまりなのだが・・・
0歳児がいれば、親は0歳の子を中心に生活する。
それが、3歳児の娘からすると気に入らない。
当然だろうと思う。
0歳児が産まれる前までは、自分がママとパパを一人占めできていたのを、急に0歳児に立場を奪われるのだ不安にもなるし、怒ることだってあるだろう。
親として、その感情をわかってはいるが現実的には行動に移すことはできない。
圧倒的に手が足りないのだ。
0歳児はとにかく手が掛かる。
おむつ、ミルク、着替え、だっこ、沐浴などとにかくつきっきりの育児を必要とする。
たまに0歳の子が寝静まり時間が出来ても、家事が山積みになっているので、そっちに追われることになり結果、3歳長女への時間がなくなることになる。
簡単な解決策はない。
長女を保育園に入れて、私の場合なら短時間勤務にする。
それか、育児休暇を取得する。それぐらいまでしないと0歳児、3歳児の育児というのは出来ない。
ママ1人で、乳児、幼児を見るのは物理的に不可能である。
わかっちゃいるが3歳の長女には出来ることは「自分でして!」と求めてしまう。
言われた長女は、ご機嫌ななめ・・・
やるべきことはわかっても、することは難しい親の葛藤である。
④育児と長時間労働で時間のコントロール不可に。
幼児育児は、家での自由な時間はない。
全て子供優先になる。
そのため幼児育児と、長時間労働が重なれば肉体的にも精神的にも余裕がなくなる。
労働、育児、睡眠、労働、育児、睡眠の繰り返しである。
睡眠に関しては十分にとれないことも珍しくない。激務である。
家でも会社でも居場所がなくなるような錯覚に陥ることもある。それほどまでに追いつめられるのだ。
疲れ、消耗は人の心までもおかしくしてしまう。
現状の労働形態では、育児と労働の両立というのは、困難である。
これは、育児に携わる私が感じた偏見なのかもしれないが、世の男性が育児に非協力なのではなく、協力したくても長時間労働でそれどころではない、というのが現実ではないだろうか。
現代は全てにおいて豊かになったのかもしれないが、それと引き換えに「時間」というものが、常に欠乏している状態になっているように私は感じている。
⑤家族を守るために、金に縛られる生活になる。
0歳児、3歳児の2人がいれば経済的にも厳しくなる。
子供手当などの援助もあるが、十分とは言えない。
それだけで、子供たちの生活費を補えることもない。
よほどのお金持ちでない限り、育児中はお金のために労働をしないといけなくなる。
本人の意志には関係なくだ。
家族を養う、生活を続けるために働かなくてはならなくなる。
これもある意味怖い状態だ。
パワハラ上司、したくない労働、終わらない仕事量を前にしても逃げることなどできない。逃げればお金を失い、家族を養えなくなる。
飼い主と飼い犬の関係といって差し支えないだろう。
何を言おうがお金に縛られているということは、そういうことである。
綺麗事を言おうが、格好良いことを言おうが育児中の社畜パパは働く必要がある。
働かないと自分の生活すら守ることができないのだ。
この弱い身分故に「社畜」と呼ばれるのかも知れない。
お金に縛られた社畜労働者ほど、弱い立場はないことは身をもって実感している。
経済的自由がない限り、社畜というのは「YES」しか言えないからね。
⑥いくら「かわいい」といっても全てにおいて、限界はくる。
3歳の娘、0歳の娘ともに「かわいい」。
だが「かわいい」とはいっても人に限界はある。
それに、0歳児と3歳児の同時育児は体力勝負でもある。
いくら愛しくても、かわいくても疲労していたり、消耗していたりすると、育児が辛くなる。
疲労・ストレスが重なりどうしようもなくイライラして子供に当たってしまうこともある。それは、育児をしたことのある人ならわかると思う。
全然、イライラしたことないという人がいれば方法を教えてほしい。私は労働で疲れ切っていると、子供が何やらうるさいとイライラする。
あそんでーーー ぱぱぁーー みてーーー きゃは みてーーー
心の状態が良ければ「かわいいな」と思うが、消耗しきっていると
だまってくれーーーー 静かにしてくれい。
と思ってしまう。
「かわいいは正義」というのは正しいが、全てにおいて効果的とは限らない。
それだけで全てが解決するとは私は思っていない。
根本的な解決は私のような社畜パパの場合、労働であることがほとんどだろう。
世の中の社畜パパが定時出社、定時退社が出来れば自然に「イクメン」になるのではないかと思う。
どうだろうか?
⑦それでも育児というのは素晴らしいと思う。
いろいろ、育児に対するネガティブなことを書いた。
育児をしていると、心が砕け挫折することもある。
それでも、労働と違って苦労して成し遂げる価値はあると思っている。
何かあっても家族なら経営者のように簡単には見捨てないと思う。
(捨てられることもあるかもしれないが)
労働との一番の違いはその点だと思う。
そう思えば育児の過酷さ、大変さも乗る越えることができると思う。
家族との時間というのは、とてもとても素晴らしいものだと思う。
正直会社内での人間関係などは、退職すればなくなる。
だが家族は一生である。
それだけで、育児は素晴らしいと言えるのではないだろうか。
⑧家族と幸せを分かち合うには働きすぎは厳禁。
同時育児には時間、労力の両方がかかる。
だから、働きすぎはいけない。
そんなことは誰でもわかっていると思う。
それでも私は何度でも発信する。
たくさん働いて、たくさん稼ぐというのは幻想である。
長時間労働をしてみるとわかると思うが、とにかくストレスがすごい。
そのせいで「ドカ食い」したり、調子を崩して休日は病院のお世話になる。
そうなると、命を削って稼いだお金が余計な出費や医療費に消えることになる。
なにをしているかわからない。
本末転倒とはこのことである。
それに、働きすぎると確実に家族との時間は減る。
当然休日は労働で消耗した体を癒すことになる。
労働のための人生になってしまう。
私はどこまでいっても、自分のため、家族のための人生が幸せだと思っている。
そういった理由で「働きすぎ」は自分と家族の幸せにとってマイナスだと確信している。
それにリアルタイムで今日私は、14時間労働した。
気分は最悪である。
足の裏はいたい。
腰はブレイク・・・いてーー
こうなると、家に寝に帰るだけになる。
疲れているので、家族が騒いでいるとイラだつこともある。
そんな自分の状態を自己嫌悪という悪循環である。
長時間労働、働きすぎはホント良くないよ。
⑨人生は金ではない。だが、世の中は金である。
言葉の通りである。
確かに、人生はお金ではない。
お金が全てでもない。
だが、世の中はお金である。
お金があれば世の中で起こっていることは、全て解決できるか、改善できる。
お金があれば、イヤな労働をする必要もない。
お金があれば「自由」を手に入れることができる。
これは、人として究極の状態であるといえる。
私もいつかは、この境地に立つと確信して、日々努力を行っている。
毎日が「自由」である。
素晴らしい響きではないか。
⑩まとめ。
家族の幸せ。
育児の大変さ、過酷さ。
「かわいいは正義」の現実的な限界。
お金の大切さ。
いろいろ書いた。
答えはいろいろあるだろう。
だが、私が一貫して思うことは「働きすぎ」「長時間労働」は家族の幸せには繋がらないということ。
勿論、適正な労働時間になったからといって、全ての人が幸せになるというつもりはない。
だが、家族とともに幸せな時間を過ごすためには、ある程度の「時間」と「お金」は必要であることは疑う余地がない。
私が言いたいこと、実行し続けたいことは一つである。どんな形であれ、子供が大人になるまでは傍で支えることである。
それを実現するためには、適正な労働時間での勤務が必須であるという結論だ。
それと、私自身「働きたくない」という気持ちが強いということもあるがね 。