働きたくねえ社畜パパの子育てと仕事の奮闘記!水面下でセミリタイアを目指す。

子育てと仕事を両立している働きたくない社畜パパです。社畜脱出を願いセミリタイアの実現にも取り組んでいくブログです。

【うつを回避する方法】誤った真面目さと責任感を捨て去るしかない。割り切ることも必要。

私なりに、労働での精神的な苦痛からの逃避を考えてみた。

 

 

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①真面目さは心を蝕むことになる。

真面目であれ!
それは、学校教育の弊害である。


真面目でなければ悪い子だ!
みたいな価値観を植え付けるから社会に出て苦しむ。


真面目→忍耐、我慢
というような風潮もある。
でもそれは間違いである。


出来ないこと、おかしなことに対しては忍耐や我慢など必要ないのだ。それなのにちょっとでも自分の意見を言うと
「生意気だとか・・・」
「我慢がない」
などと言われる。

そういった偏った真面目さは身を滅ぼすことになる。
私にもそういった時期があったのでよくわかる。
自分で何でも抱え込み、弱音を吐かずに耐え抜くといった過去がある。


その時は本当に毎日辛かった。
でも得るものもなかった。
繰り返し言う。
偏った真面目さは身を滅ぼす。


できないことは出来ないのだ。

②責任感もこの問題に関しては悪影響。

責任感というのも度を越すと自分に大きな負担をかける。


適度な場合は、自分を成長させるために良い働きをするが、社会の場面だと自分を追い込むばかりである。


後、責任という言葉に対して過剰に求めすぎだと思う。
あきらかに一人では出来ない仕事を、責任という二文字で脅し、一人の人間に必要以上に労働を押しつける。何かあればこんな調子である。


「お前には責任感がないのか!」
「お前が責任をとれ!」
そんなことを言われたり、聞いたりした時にはふと考えてほしい。


本当にそんなことを言われるほどのことかと?
だいたいの場合は、その言葉で二人分働かせようという魂胆が隠れているのだと思う。


人として、最低限の責任は必要だが、自分に出来ない量の労働までする必要はないと私は思う。

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③解決は手抜きと「まあ、いいか」。

気持ちを楽にするためには自分に優しくなることが大事だと思う。


何かあっても「まあ、いいか」と流すぐらいでちょうどよいと思う。自分に厳しくしすぎると必ず身体を壊す結果になる。


自分の身を守るためには、自分にとことん優しくなるべきだと私は思う。困ったことがあっても、自分が命を失う以外は「まあ、いいか」で切り抜けよう。

自分に優しくできない人が、人にも優しくできるはずがない。

 

④全員が「うつ」になっているわけではない。

社内を見渡してみるとわかるが、ブラックな部署でも全員が「うつ」になるわけではない。


劣悪な環境でもたくましく?生き残っている人もいるのだ。そこに注目したいところである。


私の意見ではあるが、「真面目な人」「強い人」がこういった状況下で「うつ」などで精神を病んでいるのだと思う。


不真面目な人は、すぐに手を抜くし、自分をそこまで追い込まないであろう。


それに、弱い人もすぐにギブアップするので、ある意味壊れる前に周囲が気づくと思う。

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つまり、誰もかれもが不調をきたすことはないのだ。
だから、自分が辛いと思ったら、手を抜けばよいし、弱音を吐くのもよいと私は思っている。(というか身体や心が壊れるまで追い込むのは、忍耐や我慢などの領域を超えている。)

そうすることで自分を救うことになれば、私はそれが一番だと思っている。

⑤どれほど頑張っても誰からも感謝されないのが現実。

私の経験ではあるが、プライベート・家族を犠牲にして労働に身を捧げても誰からも感謝されないということ。


言葉だけの感謝はあるかもしれない。
だが、心の中では誰もそんなことなど思っていない。
せいぜい「この人にやらせておけば、自分がブラックな勤務をせずにすむ」ぐらいのものである。


それを感謝と言えるだろうか。
ただ便利使いされているだけだと私は思う。


私はそこに価値は見いだせない。


たいがいの場合、ブラックな勤務をしているのは一部であり、全員がしていることは少ないと思う。結局、真面目な人が残った労働をすることになり、結果身体を壊すことになる。


しかも感謝されない。
あげく、薄情な人たちはこのような発言をする。
「ゆってくれたら手伝ったのに。」
「真面目すぎるんだよ。」
「知らなかった。」


全て他人事のように話す。
もっともらしく善人ぶっているがどれも偽善に溢れている。だって、同じ会社で働いているのに気づかないはずがない。


気づかないということは、その人に対して興味がないということ、それは言い訳にはならない。


私は、そんな結果にならないためにも、労働では一線を引いて働くようにしている。自分を守るのは自分しかいないのだ。

⑥自分の身体さえ健康なら、いくらでもチャレンジ可能。

心と体さえ健康なら何でもできるし、何度でもチャレンジできる。


それほどまでに自分の身体というのは大事だと私は確信している。


それを、労働なんかのために犠牲にするのはあまりにも悲しすぎる。何をするのにも健康な心と身体は必要になる。


そのことを、意識していれば過酷な労働環境に遭遇しても何らかの対処方が見えてくるのかもしれない。