【30代中堅社畜の苦労】会社の先輩・上司の姿は、未来の自分である。辛い現実から目をそむけるな!!
経営者は、あの手、この手で社畜の私をこき使おうとする。
社畜10年目は、家族である。
みたいな仲間意識みたいなものを植え付け、隙あればただ働きをさせようとする。
会社なんてものは、どこもそんな感じではないだろうか。私はそう思っている。
そうやって巧妙にファミリー意識を植え付けているのだと思う。
今日は、そんな30代の一般でいう「働き盛りの中堅社畜」の私の話。
- ①30代の中堅社畜(社員)は大変。
- ②会社の先輩、上司が未来の自分の姿である。
- ③厳しい現実を直視せよ!
- ④労働時間以外で、活躍するしかない。
- ⑤30代は「働き盛り」というのは、社畜の現実逃避だ。
- ⑥育児には「時間」が必要。効率ではない。
- ⑦やっぱり私は「セミリタイア」。
①30代の中堅社畜(社員)は大変。
30歳を過ぎると、何かいろいろ大変だ。
結婚して、家族を養うためにたくさんの収入が必要になる。
仕事の経験も増え、出来ることが多くなり、膨大な量の労働を押しつけられることもある。
仕事、プライベート両方が多忙になる。
独身時代に比べ、圧倒的に趣味に費やす時間が減る。
時間がなくなるのに、比例して「働きたくない」という気持ちも強くなる。
(アルバイト時代から、労働意欲は低かったが)
労働がイヤでイヤでたまらなくなるのは、みなこの頃ではなかろうか。
中間管理職のようなことをやらされ、上からは成果を求められ、下からは何かにつけて突き上げ、不満をぶつけられる。
(中間管理職と言われる役職にならなくても社歴が長くなればそのような仕事を押しつけられる。)
そんな現実の中で、私は労働というものに心底絶望した。
30歳を過ぎると、労働の激化、私のように子供がいる人なら育児、お金の心配もある。
30代というのは、本当に大変なのだと思う。
育児が大変なのは、自分が選んだことなので仕方ない。
それに自分のためとも言える。
喜びもある。
それに、子供の成長は親の喜びに繋がる。
だが労働での活躍は経営者の懐(サイフ)を温めるだけである。
それに仕事を通じて成長なんてことを私は求めていない。
そんなものは、勝手な経営者の理屈。
仕事を通じて人間性が成長するのならが家族にとっても良いのかもしれないが多くの場合はそうではない。
ほとんどの場合はその会社だけで価値のある高いスキルだけである、それは結局経営者の懐が潤うだけである。
30代は「働き盛り」なんて良くわからない理屈を押しつけないでもらいたいと願う。
そんなよくわからない理屈を盾にして良いように社畜を使わないのでもらいたい、それが私の望みである。
30代はいろいろ大変なんだ。
私は、趣味もしたいんだよ。
と今日も社畜パパは、叫んでいる。
②会社の先輩、上司が未来の自分の姿である。
どうあがいても、会社の先輩・上司が未来の姿だ。
同じ習慣・経験・行動をしていたら、似たような人になるのは当然の結果と言える。
同じことをしているのに、違った都合の良い結果を自分だけ得ようとするのは、虫が良すぎる。
年収の低い会社の社員は、生活水準も似たようなものになる。
平均年収が300万の会社の社員が高級外車を乗り回していることはない。
(乗るか、乗らないかは本人の気持ち次第であるが)
もし乗っている人が、いるとしたら家が金持ちか、何か副業などをしているという別の理由がある。
つまり、何もしなければ、会社の先輩・上司が歩んでいる道をそのまま歩くことになる。
悪ければ見えているよりも、遙かに悪い状況を歩くことになるかもしれない。
(今後の日本の経済動向を考えるとバラ色の未来よりも暗い未来の方が可能性としては高いだろう。)
そんな、未来で良いか?
私はとてもじゃないが納得できない。
③厳しい現実を直視せよ!
厳しい現実を直視せよ!
自分は特別、例外だと思うな。
会社にいると、いろいろな人がいる。
すると、何故か社畜のくせに、一匹狼気取りの人がいる。(会社に雇用されている時点で、一匹狼ではないのだが・・・)
「おれは、社長に一目を置かれている。(平社員)」
(いやいや、一目置かれている人が、平社員なわけねーじゃん・・・)
「幹部社員は、おれには気を遣っている。だから、たまにおれが譲歩してやるわけよ!」
(社畜歴が長すぎて、頭がおかしくなったのかな?)
こんなふうに、何故か自分を神格化して不憫な自分の現実、立場、能力を受け入れることができない人が、会社にはたくさんいる。
私は彼らに告げたい。
あなたたちは会社に良いように利用されているだけで、期待や大切にされているわけではないということを。
厳しい現実を、直視せよ。
冷静に考えれば事実が見えてくるはずだ。
いくつになっても、自分のことを「すごいヤツ」と思いたいという気持ちはわかるが学生時代でそういっった自分のスペックは理解しているはずだ。
自分が、天才か凡人かはわかるはずだ。
ちなみに、私は凡人である。
それも平均以下の凡人である。
なにせ、私は中学生時代に不登校になったぐらいである。
毎日学校に決まった時間に登校するということに、耐えられなくなり、不登校になった。
それに学業での成績もさえない。
運動をしてもイマイチ。
だから、今も客観的に見ればパッとしない男である。
つまり、20歳までに自然に成功をしていなければ、まあ、凡人であるといえる。
天才、秀才は意識しなくても成功するものだ。
つまり、いくら社内で少し自惚れても、私たちが一夜で天才に変身することはない。
天才と凡人の差というのはそれほど大きなものである。
結論としては、厳しい現実を直視して、夢を見るのではなく、現実世界の自分と向き合うということである。
真っ正面から、自分と向き合うことで自分のやるべきことが見つかると確信している。
そこで私は「セミリタイア」を見つけた。
会社からは、部品ぐらいにしか思われていない。
私自身「働きたくない」
私の能力と心の強さでは、定年までは耐えられない。
そこで行き着いた、唯一無二の答えである。
④労働時間以外で、活躍するしかない。
労働時間以外で、何をするかでしか将来、未来を変えることはできない。
同じように労働をしていると、結果は同じ。
将来も似たりよったりになる。
上司や先輩のようになりたいのなら、見習うべきだが、そうならないのが世の常である。
たぶん、大半の人が「上司や先輩のようにはなりたくないな・・・」と思っているのではないだろうか。
そう思うなら、副業を静かに始めるしかないと、私は思っている。
労働以外で収入を得る方法を模索しない限り明日はこない。
いつまで経っても、経営者の言いなりになるしかないと私は思っているのだ。
労働時間以外で何をするか?
それが、欲しい未来を切り拓く唯一の方法だと思っている。
ちなみに、私は株をしている。
今後はブログやアフィリエイトサイトで収益を得たいと思っている。
収入源を一つに依存しないことも社畜にとって大事なことだとも思う。
⑤30代は「働き盛り」というのは、社畜の現実逃避だ。
働き盛りは誰が決めた?
たぶん、社畜の現実逃避からきた言葉である。
働き盛りという暗示を、自分にかけ長時間労働や過剰な責任を正当化しているように思う。
もともとは、経営者が社畜をより一層働かせるための洗脳の言葉だったのかもしれない。
でも、長らく社畜という悲惨な労働環境にさらされ、洗脳されると自らが「働き盛り」と勘違いしているように思う。
そもそも、労働者に「働き盛り」などない。
というのが私の意見だ。
まあ、30代になれば高卒・大卒問わず、おおむね10年以上の会社での経験を積んでいることになる。
それに、結婚をして子供がいる人も多いことだろう。
そうなるとお金をたくさん必要になる。
それに、自分一人で生活しているわけではないので、退職についてのハードルも独身者に比べ高くなる。
その社畜の弱みにつけ込み、会社は罰ゲームの「中間管理職」という鎖をつける。
少しばかりの、役職手当と引き換えに、とてつもない責任と、膨大な労働を押しつけられることになる。
それこそが、真の社畜であると言える。
わかっていても、逃げ出せない。
逃げれば、家族が路頭に迷うことになる。
心底嫌気がさしても、どうすることもできない絶望を味わう。
だから、必死に会社(経営者)の顔色を伺い労働をする。
お金のために、イヤの労働を続けるのだ。
そんなおかしな環境にいると、社畜はいつしか現実逃避(心の防衛)のために、労働を愛していると思いこもうとする。
そこでおかしな「働き盛り」という言葉が出てくる。
そう思い込むことで、自分の心を守っているということである。
私は、そのように理解している。
「君も働き盛りの年齢になったんだから、どんどん仕事を貰って、仕事漬けの生活をしなよ。仕事の報酬は、さらに責任ある大きな仕事だよ」
そんなことを真顔で、言っている人がいる。
おぇええええええーーーー
誰が好き好んで、同じ給料で多くの仕事と大きな責任を負うんだ??
長きに渡る、社畜の洗脳で狂ってしまっている・・・
仕事の報酬は仕事だと真剣な顔で発言する人がいるがそんなことは一部の仕事大好き人間だけが好きですれば良いだけの話である。
その人に、私の言葉は届かないだろう。
せめて、私は「働き盛り」という現実逃避に逃げないように心がけるとする。
いろいろ書いたが、要約すると私が「働きたくない」ということなのだと思う。
⑥育児には「時間」が必要。効率ではない。
育児は、気持ちだけではできない。
知識だけでも無理。
やはり、どうしても時間が必要になる。
最後に、頼りになるのは「時間」である。
確かに、愛情、お金も育児には必須である。
だが、その愛情やお金を育児に役立てるためには、「時間」が必要である。
しかも、子供との時間は、効率が良ければ良いというものではない。時には、時間をかけて話し合うことも必要だと思う。
子供と、毎日遊び、食事を一緒に食べ、共に寝る。
そんなありふれた毎日を実現できる、社畜は少ないと思う。いるとは思うが、出来ない親もたくさんいると思う。私も以前まではそうだった。
労働を優先させて、子供との時間が疎かになっていた。今では、後悔しかない。
これが、振り返った時に、納得がいくような労働であれば良かったのだが、別に誰がやっても良いような労働であった。
(まあ、労働で自分しか出来ないことなんてないがね)
子供とのふれ合いは、愛情だけでは出来ない。
というのが、私の結論である。
愛情がないのは論外ではあるが・・・
育児には、時間がかかるのだ。
⑦やっぱり私は「セミリタイア」。
人生を幸せに、楽しく謳歌するためには「セミリタイア」しかない。労働に時間を奪われていては、確実に健康どころか命まで奪われることになる。
おおげさでもなく真剣に思っている。
時間がなければ、何かをしようとも思わない。
新しいことをしようと、考えることもない。
長時間労働や、ブラック勤務は人生を楽しむことを忘れさせる。私は、人生を楽しむために生きているのであって、労働に捧げるために、産まれてきたのではない。
「セミリタイア」しなければ、どこかの後悔することになる。社畜サラリーマンをしていると、不自由を強いられることが多い。
別に何かをしたいわけでもない。ただ自由な時間が欲しいだけである。
そんな、人生はいやだ。
だから私は「セミリタイア」
私のユートピア(理想郷)は労働の中にはない。
フルタイムで働かなくても、暮らせる収入を目指して社畜パパは今日も走ります。
(労働では走らないよー)
株はそこそこ良い感じなので。
次は、別の収入源を確保したいところだ。
不動産か、太陽光発電、ブログ、方法はいくらでもある。
労働の先の未来に、私のような「コミュ障」の根暗に居場所はないと断言する。