働きたくねえ社畜パパの子育てと仕事の奮闘記!水面下でセミリタイアを目指す。

子育てと仕事を両立している働きたくない社畜パパです。社畜脱出を願いセミリタイアの実現にも取り組んでいくブログです。

【働きすぎているから何もかも貧乏!?】30代労働嫌いのサラリーマンの社畜批判。

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「働きすぎの社畜」に休養を。
社畜の弱い立場を利用してつけ込んで強制労働を執行している。
経営者に正義の鉄槌を!
と日々怒りをため込んでいる労働意欲がお寒い社畜パパ。

◆記事で伝えたいこと◆
・働きすぎて自分の将来を後回しにするから貧乏になる。
・労働でいくら優れた成果を上げても懐が潤うのは経営者。
・万が一高い報酬を得ようものなら即座に政府が徴収にくる。(累進課税
・働きすぎて身体を壊し、医療費だけが積み上がる。

 

 

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①働きすぎて貧乏・貧困になるのはある意味事実。

「働きすぎ」は貧乏・貧困の原因。
健康のリスクを抱えたり。
自分の時間を犠牲にしたり。
時間がないから、自分の将来を犠牲にする。
余裕がないから心まで貧しくなる。
人や社会に対しての優しさや、寛容さに欠ける。
このような状態は精神面でも、物理的な面でも貧乏・貧困と言える。

時間があれば、家計の見直しもできるし保険の見直し家賃の見直し、スマホ代の見直しなどお金のことに関して振り返る時間を持つことができる。

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労働で疲弊して消耗していると、そんなことは到底できない。働きすぎというのは労働者をそれほどまでに貧乏にするのである。


立ち止まって考えて欲しい。自分の心身を犠牲にしてまで成すべき事なのか。
家族を悲しませてまでやるべき事か。
自分や周囲の人の将来までも無視してまで労働に没頭する価値があるのか。

恐らくない。(個人の考え方ではあるが。私は労働にそこまでの価値は見いだせない。)
今日はそんな「働きすぎの社畜批判」を含め、様々な働いているから貧乏・貧困なんだ!という私の経験談を書いていく。

 

②資本主義のルールがまさにそれ。

資本主義のルールでは、社畜(労働者)は勝者にはなれない仕組みになっている。

勝者は必ず経営者になる。
社畜(労働者)が心血を注ぎ会社のために貢献しても、社畜(労働者)の懐が潤うことはない。

むしろ、懸命に労働に勤しんだせいで医療費が増大しているかもしれない。

では、利益はどこは消えるのか?
答えは、「会社、経営者の懐」である。


例え、どれほど私が会社に貢献しようとも給与が2倍や3倍になることはない。
逆に私が全く貢献しないようなポンコツ社畜(労働者)であっても給与が半分になることもない。


これが、社畜(労働者)の良いところであり、悪い所でもある。確定していることは、「お金持ち」になることはないということである。
社畜(労働者)である限りは「お金持ち」になるというのは基本的には無理なようになっている。
どうしても社畜(労働者)の前には強大な敵「税金」が立ちはだかっているのだ。


稼いだ利益を1人占めしたいのなら、資本主義のルールに則り「経営者」になるしかない。
そうすると自分の給与も勤務時間も決めることができる。
労働を心から愛して、人と仕事をすることが生き甲斐だと思う人は経営者を目指すほうが、断然いいと私は思う。


逆に私のように「コミュ障」は、とてもじゃないが日々の労働すら耐えることができない。そんな人間は逆立ちしても「経営者」になることはできない。

できたとしても、茨の道を歩むことになる。
私に残された道は、蓄財に励み株主になることと、人との関わりを持たずにビジネス展開が可能な仕事しかない。(主にネットビジネスになるだろう)


何にせよ、資本主義のルール内では社畜(労働者)は経済的に勝者・幸せになることはできない。

③労働で得られる給与はたかが知れている。

労働で手に入れることのできる、金額(給与)は知れている。これは絶対である。

高い給与が貰える職種や役職は、リスクや重責が伴う。
プライベートを犠牲にして高い報酬を得るというような状態だ。


果たして、それで本当に幸せなのだろうか?
私は疑問に思う。
毎日、毎日綱渡りのような労働に身を委ねて、心身を捧げ高い報酬を得ることは大半の人には向いていないと思う。

私も当然そうだ。
生活のための労働である。
決して仕事・労働のための生活ではない。


だが、高給取りの社畜(労働者)にそんな贅沢は許されない。役職が上がれば、上がるほど会社からの制約は多くなる。

すなわち、自由を奪われるということだ。
さながら高い報酬と引き換えに、君の魂を会社に捧げろと言わんばかりである。


こんな生活はまっぴらである。
たくさん稼ごうと思えば、人間らしい生活を手放すことになりかねない。

そのため、労働で得られる「お金」などたかが知れているのだ。


資本主義の中で「お金も持ち」になるためには、労働に身を費やしていてはならないということを、私は肝に銘じている。

経営者になるか、株主になるか、地主になるかしか道はないと思っている。その中で私が選んだのが株主である。

④万が一高い給与を手に入れても、次は政府が徴税にくる。

頑張って給与を上げても、今度は政府がお金を搾取しにくる。
日本は累進課税のため、給与が上がればその分税金も多く徴収される。


会社には、心と体を捧げ。
政府からは、その魂の結晶であるお金を搾取される。
何とも、社畜(労働者)というのは悲しい生き物か・・・

どこまでいっても、搾取される運命にあるのだ。

高い給与のためには、命を削り働き。
命を削って手に入れた報酬を政府に奪われる。
乱暴な書き方であるが、あながち間違っていない。

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逃げ道は、経営者になって経費などに計上するしかないのだ。
社畜という身分では、どのようにあがいても逃げることはできない。


社畜(労働者)には、会社だけでなく、政府という高い壁があることを忘れてはならない。

万が一高給取りになれたとしても、次には税金が重くのしかかることになることを忘れてはいけない。

⑤「社畜批判」とにかく時間がない。

社畜には時間がない。
自由な時間が圧倒的に少ない。


それは、社畜だから。
時間を会社に拘束されているからである。
出勤日や休日、労働時間全て決定されている。

給与も決められる。
全てにおいて会社に決定権がある。
すなわち自由がないのだ。


仮に「今日は面倒だから出勤しない。」と実行しようものなら、クビ決定である。

それに、最近は疲れ気味だから今月は週休3日で6時間労働だなんてできない。
給与も自分でコントロールできない。
冬は寒いから時間を遅らそうなんてこともできない。


全て、全て、全て会社が決定するのだ。
そこに、社畜の自由な意志はない。
飼い犬といってもおおげさではない。

それに、大半の社畜が労働のための生活を送っていると思う。
「明日は出勤だから早く寝よう。」
「仕事があるから、時間のかかる趣味はやめておこう」
などと仕事・労働を理由に諦めていることはあるはずだ。

社畜という身分には、自由な時間というものが圧倒的に少ないという残念な現実である。時間を自由に使えないと下記のようになる。


・行楽、ホテル、外食、全てが割高、待ち時間長い、無駄遣い。

社畜の休日というのは、重なることが多い。
そのため、行楽やホテル、外食も割高で待ち時間も長くなる。

悲しいことではないか。
労働で命を削って稼いだ大切なお金を、割高でなおかつ待たされるという事実。

なんたる悲劇・・・

これが、自由な身分の人なら、閑散期を狙えば行楽、ホテル、アミューズメントパーク、外食など割安、待ち時間も最低限で楽しむことができる。

社畜の悲しい宿命を肌で感じる瞬間である。
それでも、社畜を続けたいか?

私は自由人になりたい。
そう心から思っている。

⑥「将来設計を後回し」過剰な労働で、思考停止。

時間がなければ余裕もない。
余裕がなければ考えない。
考えなければ現状は変わらない。

ブラック勤務は人の思考を停止させる。
自分の将来のこと。
資産について。
仕事について。
結婚について。
全てが「後回し」になる。

だから余計に時間がなくなり、今よりも貧乏になる。

目の前の山のように積上がった労働をするのに精一杯である。

かつて私もそうだった。
毎日、毎日14時間以上労働に費やし、家に帰るとすぐに眠ってしまう。


その状態では、一切将来のことなど考えることもしない。
ただ毎日悩殺されて生きているという状態である。

これは、本当である。疲れが蓄積すると人は、無気力になる。

客観的に見れば、非常にヤバイ状態であるが当事者はそのヤバイ状況がわからない。
たぶん経験がある人なら共感できる部分もあると思う。


本来なら、自分の生活があって、労働があるというのが正しい在り方だと思う。
でも社畜脳で汚染されると労働があってその余った時間で自分の生活だ。

みたいなおかしな常識を植え付けられる。
正直私も社畜6年目ぐらいまでは毒されていた。

会社のことを疑った事なんてなかった。

騙されてはいけない。
会社は、私の人生に責任を持ってはくれない。
そのことに気づいてからは、私は自分の人生を後回しにしないことを決意した。

全てが全てうまくはいかないが、意識しないよりは全く違う結果になっている思う。

だから私は「セミリタイア」するための行動を必ず行うようにしている。
自分の将来を後回しすることは、自分を大事にしていないことに等しいと私は思っている。


私は自分を第一に考えているエゴイストである。
みなさんもそうではないだろうか。

⑦過労は心身共に疲弊させ、医療費が増大する。

長時間労働・働きすぎは医療費を増大させる。
肉体労働の場合は、ヘルニア、腱鞘炎などの様々なリスクがある。

管理職には精神疾患のリスクもあるだろう。

一般職にも、労働を休めないため家で寝ていれば大丈夫のような病気でも、病院にいって点滴や痛み止め、解熱薬、栄養ドリンクなどを飲んで、体が警報を鳴らしているのを無視して労働に勤しむ。

結果、自分の生活を豊かにするための労働が、いつの間にか医療費のための労働にすり替わってしまう。

何とも恐ろしいことである。私は医療費のためなんぞに労働をしたくない。

おおげさに聞こえるかもしれないが現実にある話だ。
働きすぎは医療費増大のリスクがあることを私は十分に自覚して、無理はしないようにしている。

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それに、万が一体調不良で働けなくなった場合の、社畜の末路というのは悲惨なものである。
会社は社畜を最後まで看取ってはくれない。
使えなくなった、社畜は車の部品のように取り替えるだけである。
信じたくはないかもしれないが、これが現実である。

⑧労働のための消耗品にお金がかかりすぎる。

お金を稼ぐために労働する。
でも労働するためにはお金がかかる。

なんと皮肉なことだろうか。
働くためには、服や靴がいる。
でも、労働していると消耗して買い換える。

通勤のためには車がいる。
(都心で働いている人を除けば、必須であると言える。)

連絡手段のために、スマホ、パソコンもいる。
とにかく働くためには、いろいろな消耗品にお金がかかるということが現実にはある。


仕方がないのかもしれないが、私はその何というか消耗品に対する出費がどうも好きになれないのだ。
お金を稼ぐために労働しているのに、働くためには様々な消耗品の出費がかかるという現実に私は耐えられないのだ。
そんな経験はないだろうか?

⑨「労働嫌い」辛すぎると根本的な原因から目を逸らす。

「労働嫌い」を自覚出来るのはまともに働けた時だけだ。(比較的ホワイトな労働環境時)


真のブラック勤務の時には、不思議と私は「労働嫌い」を感じない。感じないというのは、語弊があるのかもしれない。

毎日15時間労働をしていると、感覚がマヒするのだと思う。
まさに人本来の防衛システムが発動して、精神を守っているのだと思う。(痛みも継続すれば慣れるのと同じ理論かな)


激務の時には、ひたすら寝たい、休みが欲しいという気持ちだけしかない。
そこには、根本的な原因の労働に対する気持ちはない。

それこそが危険な信号であると思う。
根本的な原因から目を逸らし、目の前の消耗だけに目を向けている状態である。


でも、いったんブラックな勤務の波が収まり、少しホワイトな風が吹いた瞬間に、胸中に宿る労働への不平・不満が溢れ出す。


まさに、その感情はどす黒くドロドロとしたマグマのようであり、すでに洗浄することなど出来ないほどに汚染されている。

その中からは私のたまりにたまった感情の声が聞こえてくる。

もういやだ!はたらきたけねえ。やめたい・・・理不尽だ。ふざけんな!助けてくれ!

私の心の声である。
これこそが、私の本音である。
だからこそ、私は「セミリタイア」という私にとっての唯一の救いの答えに思い至ったのである。

セミリタイア」という逃げ場がなければ私は今でも、労働地獄という闇の中で進む道もわからずにもがき、苦しんでいただろう。


強制労働で苦しんでいる、社畜の同志よ。
時には静かな時間の中で、自らの本音と向き合うことも大事だと思う。

私は静かな時間の中で「セミリタイア」しか私は幸せになることができないと確信しているのだ。

⑩10年社畜を続け至った結論。(労働嫌い)

お金、時間に全てに不利。
それに、時間がないから大切な自分の将来や現状について考えることもしない。

時間がないから余裕もない。
お金がないから、さらに働いて土壷にハマる。

それが、社畜の本質だと思っている。
私が描くユートピア(理想郷)は労働がない世界である。それは、現実的に不可能としても、最低でも週休3日で最大労働が8時間という法律になってほしい。
(最大労働8時間というのが重要。そのため、通常は5~6時間勤務ということ。)


そういった暮らしに皆がなれば、もう少し争いごとや、余裕のない人も減るのではないかと思う。


私は12年働いて、労働の先に何もないことを悟った。
真の労働嫌いだと自分で確信している。

働けど、働けど貧乏・貧困なのは「働きすぎているから貧乏・貧困」なんだと確信している。

もうこれ以上「働きたくない」と胸に秘めながら、今日も社畜パパは出勤する。

◆結論◆
働きすぎているうちは、どれだけ頑張ってもお金持ちにはなれない。まずは自分の将来設計を優先させることから全てはスタートする。