【育児の評価は結果論】振り返ったときにしかわからないのが育児。
バイルです。
育児は結果論である。
後になって「良かった」「悪かった」と評価するのは簡単だ。
学生の通信簿のような感じ。
それに外から見ると育児の過酷さ大変さはわからない。
それに成人して大人になってからでないとパパとママの育児が正しかったのか判断できない。
しかも時代は常に変わっている。
今の常識と10年後の常識はまるで違っているであろう。
そうなると育児の正解についても変わる。
また見る人によっても正解も違う。
成人を迎えた子どもの立場や想いによっても違う。
数学のように絶対的な正解というのは育児にはない。
すなわち「育児に正解」などないのだ。
だから育児中の親は自信があろうとなかろうと自分が正しいと思う育児をするしかないのである。
正解のないことに正解を求めても仕方がない。
それに「子ども」は1人の人間である。
化学のように結果が決まることもない。
同じ教育をしても同じ結果にはならない。
だから育児に正解など求めてるだけ無駄なのだ。
1人1人「個性」がある。
だからこそ親は「個性」を尊重して教育をしていく。
そこに「正解」「不正解」などないのだ。
周囲の事情も知らないような人に自分たちの育児を批判されるような筋合いはないのである。
1番子どもに寄り添っているのは他でもない親である。
子どもを育て上げるためにどれほどの時間、苦労、お金を親が捧げているか。
子を育て上げた!
ただそれだけですべからく親は立派である。
私はそう思う。
私も世間の立派な親を見習い2人の子どもを育て上げようと思う。
きっと周囲の人から今後「子育て論」みたいなのも押しつけられることもあると思う。
だが子育てを毎日しているのは私たち夫婦である。
だから決めるのは私たちだ!
という気持ちで今後も育児をする。
まあ実際には
「ありがとうございます!」
右から左に聞き流す。
みたいな感じになるのでしょうが。