【愛情不足、愛に餓えている】そんな残酷な言葉を、育児中の親に言うんじゃねえ!!!
バイルです。
育児を少しかじった、知ったかの人間や、配慮のない人がたまに無神経な言葉で攻撃してくる。
子供が・・・・
「愛情不足なんじゃない?」
「愛に餓えているんじゃない?」
・・・・・育児中の親に対して、何て残酷な言葉を投げかけるんだ。悲しくて胸が締め付けられる。
育児をしている親は、すべからく尊い。
私は感謝と敬意を払う。
(勿論育児進行中の自分のことも褒めている。)
今日伝えたいことはこれだけ。
でも、これだけで終わるのもあっけない。
だから思っていることを書く。
①眠れない日々に子供を見守るのは親だ。
乳児育児では親は眠れない。
定期的にミルクを与えるだけで親は疲労困憊である。
それに、子供の調子が悪いと親は看病のため寝食を忘れ見守る。
それは何も特別なことではない。
親であれば、多かれ少なかれ経験している。
当たり前に行っているのだ。それがすごいのである。
ママの場合は、徹夜明けに家事もある。
パパは仕事もある。(主夫の場合は、逆になる。)
でも、それはスゴいことである。
誇ってよいことである。
誉められて良いことである。
それほど、大変なことである私は思う。
原動力は何か?
義務感か?
否!
子を想う、親の愛である。
そこに、見返りはない。
立派な行動であると想う。
実際私もしている。
自分でやっているからわかるが、言葉で言うほど簡単でもないし、楽でもない。
時には親の方が疲労でダウンすることだってある。
親だから当たり前?そんなことを言う人もいる。何が当たり前だ!偉そうに!良くそんなことが言えたもんだ!
そんな親の姿を見て
「ありがとう」
「頑張っているね」
ではなく
「もっとがんばれよ」
「まだまだだな」
と心ない言葉を浴びせる人がいる。
悲しいばかりである・・・
理解してほしいものである。
②子のため身なりも整えない、清貧も愛である。
育児にはお金がかかる。
気持ちだけでは育てることはできない。
育児は現実である。
時に、お金がなく子供を優先して親の身なりが疎かになることもあるだろう。
表面しか見ない人は・・・
「みっともない」
「小綺麗にできないのか」
などとヒドい言葉を言う。
果たしてそうか?
私は違うと思う。
清貧という言葉は好きではないが、まさに「清貧」であると思う。
心は美しいと思う。
(一部配慮のない親もいるかもしれないが、この場では除外)
どちらにせよ、愛あればの行動である。
親はそれが自然にできる。
すごいものである。
③孤独になっても育て上げるのも愛だ。
育児は、たとえ家族の協力や援助がなくても完遂する必要がある。
世の中には、様々な境遇で育児をしている人がいる。
いろいろな苦労を背負い、大変でも立ち上がる。
極論「孤独」になろうとも育児はする。
我が子を、育てあげるために必死である。
神々しさすらある。
その背中を見て何を言えようか。
批判、アドバイス?
とんでもない。
かける言葉は一つだけである。
「ありがとう」
理由なんて必要ない。
シンプルでいい。
育児をしている全てに感謝である。
④育児で悲しみに暮れ、怒りにかられ、時に涙する。愛に他ならない。
我が子の行動や、周囲からの批判で時に親は、悲しみのどん底に落ちることもある。
怒りにかられることだってある。
涙を流すことだってある。
喜びに打ち震えることだってある。
嬉しくて飛び跳ねることもある。
それらの感情の根底は全て「愛」である。
我が子に関心がなければ、そんな余計な感情など沸き上がってもこない。
それこそが親の本質であると私は思う。
我が子のことを考え苦悩、歓喜する姿は親として誇って良い姿である。
⑤そこにあるのは純粋な愛。献身のみ。それを責めることのできる人などいないのだ。
育児をしていて思うこと。
見ていて感じること。
それは、見返りを求めない愛、献身である。
なんだかんだ言っても、それがなくては育児は完結しない。
だから、全ての親の育児を責める権利など誰にもない。全ての親に必要な言葉は「感謝」「労い」である。
そこが十分なされてこそ、アドバイスや意見が必要となる。心配せずとも、必要であれば親の方から聞いてくる。
親も我が子を育てている時に、一緒に成長している。
私も共に成長しているのを実感している。
育児中の親は、すべからく見返りのない愛と献身をもって行動しているのである。
賞賛されてこそ、批判なんてされることはない。
⑥全てを捧げている。
つまり、親は全てを捧げているということ。
心、時間、身体、お金をつかい育児を行っている。
すばらしいではないか。
そんな親に対して周囲の人が
「親の教育がなっていない・・・」
「親が親なら子も子ね・・・」
「愛が不足しているのね・・・」
「餓えているんじゃない・・・」
そんなこと口が裂けてもいっちゃいけねーよ
と思う。
でも、現実にはこのように親を平気で傷つける言葉が溢れている。
それを、笑いながら言い放つ人もいる。
悲しい社会である。
まとめ
長々と育児中の親について書いた。
私の経験と偏見ばかりであるが共感できる部分もあると嬉しい。
まとめると言いたいことは一つである。
「感謝」だけである。
それが、あれば親は育児のストレスや疲労など溶けてなくなると思う。
育児中の親が当たり前にやっている偉業に対し、社会がスポットライトを当ててくれる日が来ることを心より願っている。
あたたかく、優しい世界の到来を私は待ち望んでいる。