【社交辞令にうんざり!】思ってもいないことを言ったり。嘘くさい挨拶、作り笑いにも嫌気がさす。
バイルです。
明るく振る舞うことは社会人の務め。
でも、「コミュ障」「陰キャ」にはそれが致命傷となる。
あーーー
働きたくないでござる!
今日はそんな社畜の人間関係の話。
①嘘まみれの社会にうんざり。
思ってもいないことを話す。
嘘くさい薄っぺらい挨拶。
心とは裏腹の作り笑い。
そんな全てに嫌気がさす・・・
それをわかっているのに毎日のように嘘を繰り返す。
くだらないとは思うが、社畜社会で生きていくためには嘘にまみれる必要がある。
正直10年も続けていれば「うんざり」してきている。
自分の感情とは全く違うことを毎日のように、続けていると消耗して当たり前である。
まあ仕方ないのかもしれないが。
早くセミリタイアしろということだろうか。
②人間不信に陥るのが自然ではないか??
腹が立っているのに笑顔で対応。
嫌いな上司にも服従。
気分が悪くてもキビキビ行動。
働きたくなくても、仕事好きですオーラ。
イヤな仕事でも喜んで!
理不尽な要求にも誠実に。
そんなことを繰り返していると「人間不信」になるのも自然ではないだろうか。
会社での雑談では必ず、同僚の悪口やグチが出てくる。
でも、実際に本人を前にすると仲良くやっているように見える。(見せる?)
これを、自分に置き換えた時にはぞっとするのである。
目の前で話している人は自分の前では普通にしているが、裏では私のことを、ボロクソに言っている可能性があると思うと、まともにつき合う気などならない。
誰も信用できないというのが実状である。
実際に目の前でドロドロの人間関係が繰り広げられているのだから無理もない。
社畜として労働して5年目ぐらいで「コミュ障」「陰キャ」にプラスして「人間不信」も追加された。
悲しいスキルである・・・
③純粋な仲間・友達関係は学生時代にしか築けない。
社畜生活を10年以上続けて思うことだが、純粋な仲間・友達関係は、利害の絡まない学生時代にしか築けない。
どうしても、社内では上下関係や利害関係が大きく影響して、人の目を曇らせるからだ。
役職者には、どうしても「ゴマすり」する人が一定数はいる。
それに、成績を上げる部下は優遇されやすいのも事実である。
そういった「しがらみ」がある中で純粋に人としてつき合うのは難しいのが事実である。
その点、学生には利害関係は存在しない。
単純に遊んでいて楽しいかだけである。
中には仲間外れにされたくないという場合もあるが、ほとんどは自分の性質のあった人と仲良くなる。
そこに、利害はない。
遊ぶためにお金を払うこともない。
お互い気を遣いすぎることもない。
それに、経済的、役職的な違いも学生時代にはない。
その人と気が合うか、合わないか。
それだけが基準である。
だから本音で話せる。
共に成長もできる。
純粋な人情・友情である。
社内では生まれることのない感情である。
(全くないとまでは言わないが・・・ないと思った方が裏切られた時に慰めにもなるだろう。)
学生時代の時の友人は宝である。
④そんな嘘まみれの世界に身を置きたいとは思わない。
総括すると、人間関係の「しがらみ」「面倒なこと」「わずらわしいこと」が嫌いなのである。(苦手ともいえる)
でも、労働には必ずついてくるものである。
だから労働嫌いになったとも言える。
いつの世も社畜労働にはそういった「かったるい」ことがついて回るのであれば私は「セミリタイア」という道を選ぶ。
私は1秒でも早く労働を卒業したいのである。
嘘まみれの世界で生き残る自信はない。
きっと頑張っても苦しいだけだろう。
今日も同僚が上司にへこへこしていた。
上司が去った後に・・・
何やら上司の悪口をボロクソに言っていた。
これが、社会のルールである。
こんな世界に身を置きたいとは到底思わない。