働きたくねえ社畜パパの子育てと仕事の奮闘記!水面下でセミリタイアを目指す。

子育てと仕事を両立している働きたくない社畜パパです。社畜脱出を願いセミリタイアの実現にも取り組んでいくブログです。

【会社の金を雑に扱う。】みな仮面を付けているだけで、社畜の本質はこれではないだろうか。

狂おしいほどに、労働嫌いな社畜パパのバイルです。
今日はいくら綺麗事を言おうとも社畜は会社の金・モノ・時間を雑に扱っているという話。

 

①会社の金(モノ)を雑に扱う。

私は、飲食店や小売店でアルバイトしたことがある。
今の仕事は少し複雑だが、本質的には変わらない。


そこで、気づいたことは、会社の金・モノ・時間というものを本当に雑に扱うとうことだ。
作業着・制服・筆記用具・電気・水道・交通費・経費などを惜しげもなく使用する。

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横で見ていると、自分のお金だと思っていたら発狂するような行動を当たり前のようにする。
例えば・・・
・洗えば使えるようなモノを、すぐに捨てる。
・使えるペンなどをすぐに交換する。
・電気もつけっぱなし、冷暖房も不必要に使用。
・少しの工夫で減らせる交通費を請求。
 (相乗りなど。)
・微妙な飲み会や食事会でも経費扱い。
・就業中に当たり前のように、おしゃべりをする。
などなど例を挙げればいくらでもある。


とにかく、会社の金・モノ・時間への扱いが雑だ。
こういった部分も、社畜残業が増える所以なのかもしれない。

②上司は綺麗事ばかりの口先ばかり。

会社に入って思うこと。
上司は綺麗事ばかりだ。

顧客のことを第一に考えろ!
会社のことを考えろ。
自分を優先するな。
そんなことを当たり前のように押しつけてくる。


でも、実際にはそのようなことはなく。
上司は、顧客のことなんざそっちのけで、自分の成績・評価や会社の顔色ばかり伺っている。


評価のためなら顧客を裏切ることを平気でする。
自分の成績のためなら、迷うことなく部下を売る。


それが、上司の姿である。
上司の発言はすべて綺麗事ばかりだ。
「責任はオレがとる!」
「部下の失敗は上司である私の失敗だ!」
というのは、建前や言葉だけの話で、本当に失敗があったらすべて部下に押しつけるのが世の常である。


ほんと!何も信じられん。
どこまでいっても、人は自分が可愛いのだ。

③何をそんなに会社の売り上げやシェアを気にするんだい?

会社の売り上げの規模や、商品のシェアは別に社畜の実力を示すものではない。

その会社の社会的価値や、消費者からの認知度を表しているだけである。


それを何を勘違いしたのか、まるで自分たちの実力や実績のように話す人が多いのに驚く。


会社の規模は、結局は社会が必要としているから大きく出来るのであって、自分たちの実力ばかりとは限らない。


つまるところ、売り上げやシェアというものは、消費者が決めるのであり、会社や社畜が決めるのではないということだ。


それなのに
「今月は○○売った。」
「オレのおかげでシェア何%だ」
「顧客は、おれについてくる。」
などと筋違いなことを発言している人が多い。

特に、最後の発言は勘違いを通り越して、残念な人である。

断言するが、顧客が社畜程度につくことはない。
すべての顧客・取引先は、私たちが勤めている会社に対して敬意を表しているだけで、決して私たち個人ではないのだ。


個人の人間に、それほどまでに顧客がつくようなスゴい人なら、きっと会社に入るまでに、何をしても成功を収めているはずだ。

それほどまでに、凡人と天才というものは違うのである。


私は思う。
会社の売り上げやモノ・サービスなどのシェアは、私たちが考えることではないということだ。
考えたからといって、現実は変わらない。


会社を運営する経営者以外に、売り上げやシェアを変化させることなんて出来はしないのだから。

④定年した時に、社畜の居場所はないのだよ。

いくら会社に貢献しようが、愛社精神を振る舞こうが、規定の年齢に達して定年を迎えれば、自分の意志とは関係なく会社と縁が切れる。


何も関係なくなるのだ。
これは、どんな役職をしている人も同じ。
唯一経営者クラスは退職後も犯罪をしていた場合に、逮捕される可能性はあるが、それは例外といえる。


つまり、いくら綺麗事を言おうが、ファミリー感を出そうが定年がきたらあっさり会社とは関係がなくなるのだ。


そこに、社畜の居場所はない。
私のような、すこぶる労働嫌いは喜びと解放感しかないが、愛社精神に溢れている人たちはどう思うのだろうか?

もしかすると、寂しいのかもしれない。
でも、いくら望もうとも二度と働くことはできない。
それが、定年退職という制度である。


これが現実なのだ。
しょせん、労働はお金を得るためのものだ。
そこに、家族のような「絆」は存在しない。
あるのは、より現実的な利害の絡んだ関係だけ。


私はこの関係がイヤだ。
この薄っぺらい関係を継続させるためにいろいろ考えている自分がイヤだ。


10年働いて、つくづくそう思う。
どれほど、会社に尽くそうとも、命を捧げようとも、会社は私たちにそれ以上の恩恵は与えてくれない。


それに真に気づいてからは会社とはドライな関係でしかつき合う気にはなれない。


そう思っている、感じているのは私だけなのだろうか?
どうだろう?


悩める、真面目な社畜の同志たちよ。
労働で真剣に考えるのはやめたほうがいい。


しょせん、綺麗事をいってもほとんどの社畜は、会社の金・モノ・時間を雑に扱っているのだ。
そんな人たちに、説教されて傷つくいわれわない。


適当な返事で聞き流せば良いのだ。