【会社の恐ろしさ】散々便利使いしてきたくせに、一転して管理、マネジメント力を求めてくる。
会社は本当に恐ろしい。
平気でプレーヤーに対して、マネージャーの役割を求めてくる。
スポーツで例えるなら、「明日は選手」「明後日は監督」「来週は運営者、経営者」というように日毎に役割を変えるようなものである。
できるわけもないし、そんな配置にはならないだろう。だが、会社という組織にはそういった側面がある。
- ①作業人として育成したくせにマネジメントを求めるな。
- ②プレイヤーの延長線上にマネージャーはない。
- ③そもそも仕事の内容が違うので別として考えて欲しい。
- ④向き、不向きがあると思う。それに資質もある。
①作業人として育成したくせにマネジメントを求めるな。
あれだけ、作業人としてボロ雑巾のように人を使っておいて、都合が良いときだけ人のマネジメント力を求めるのはおかしいと思わないか?
私は思う。
作業人のスペシャリストとして育成・評価してきたものには奇跡でも起きない限りはマネジメントの能力など芽生えるはずなどない。
②プレイヤーの延長線上にマネージャーはない。
プレイヤーの先にマネージャーはない。
それを会社は明確に分けていないように思う。
現場で優れた力を発揮していた人をマネージャーや管理者に登用してもうまくいかないのはこれが理由である。
私を含め、彼ら彼女らいわゆる実務面のプレイヤーとして高い力を発揮して認められただけである。
それなのに明日から急にマネージャー、管理者(スポーツだと監督や球団運営の経営者)
そんなものは土台無理である。
というかそんな仕事を期待するのも無茶だというものだ。プレイヤーの先にマネージャーなどないのだよ。
③そもそも仕事の内容が違うので別として考えて欲しい。
マネージャーや管理者の仕事と、プレーヤー、作業人との仕事は全く違うので任せる際には別次元として考えなくてはならない。
なぜなら、内容が全く違うからである。
スポーツで例えてみよう、サッカー、野球、バスケットボールでも何でも良いが優れたプレイヤーだからといって、球団の運営やチームの運営を上手にできるとは限らない。
選手として優れていても、監督や経営者として優れているとは限らないのだ。全く内容が違うからだ。
④向き、不向きがあると思う。それに資質もある。
1、人と関わりが好きな人は向いている。
学生時代からムードメーカーであったり、大人数で遊ぶのが好きな人はマネージャーなどに向いていると思う。
・人とのおしゃべりが好き。
・意見を交わし合うのが苦にならない。
・人を巻き込んで何かをするのが好き。
・すぐに友達10人を集めることができる。
などといったことが当てはまる人はマネージャー、リーダーに向いているといえる。
逆に、あまり話さない、対立を嫌う、個人プレイが好き、人付き合いが少ないという人は、よほど何かがない限りはこういったマネージャーには不向きであると思うし、なったとしても人との関わりで苦労することになると思う。
これは、会社にとっても、本人にとっても不幸でしかないと思う。
実務が抜群にできるからといって、人の指導、扱い方が上手かというと別物である。ちなみに私にはマネージャーの素質は笑ってしまうほどにない。
2、その仕事に情熱がある人はできる。
私が思うに、性格や適正がなくてもマネージャーとして役目を果たせると思う条件がある。
それは「その仕事に対して情熱がある。」ということだ。
この並々ならぬ情熱があれば、誰であってもマネージャーとしての役割を果たせると思う。
情熱があるという状態は仕事が楽しくて楽しくて仕方ないという状態である。
家にいるときでも自然に仕事のことを考えてわくわくするような状態である。真にそういった状態であるならば周囲の尊敬も得られるであろうし、協力も得られるはずである。
まさにストレスフリーである。
現実問題そんな仕事に巡り会える人は少数であると思う。
マネージャーとしての資質、リーダーとしての資質はもしかすると才能というよりもその事柄に対する情熱の熱量によって決まるのかもしれない。
まあ、わからないがね。
私のような底辺社畜がそこまで労働を愛することは今後ないと思う。