【転勤は面倒だが必要でもある】引っ越しはやりすぎだが、車や公共機関で通勤できるならあり。
バイルです。
社畜生活では、飼い主(会社)から転勤の命令を下されると拒否権はない。
(特例は除く)
働く場所でさえ、自分で選べないのが社畜の悲しい性である。(社畜には自由はない。)
そんな、不満や愚痴ばかり言っても話は進まないので話を戻そう。
今日は、そんな面倒でイヤな転勤の話。
社畜から見た良い点に焦点を当てたい。
①人の入れ替わりにより、ハウスルールをなくせる。
まず私が感じるのが、ハウスルールという名のベテラン社員、お局さんの独自の暗黙のルールをなくせるという点である。
被害にあった方もいると思う。
何故か「あの人のいうことは絶対だ!」的な空気と「あの人だからいいんじゃね」的な空気。
あーーー やだやだ( ;ノ´Д`)ノ≪ヤダ-!!
でも転勤があり人の入れ替えが発生すれば、暗黙のルールは消えるか、薄れる。
私のような弱小社畜には嬉しいことである。
2~3年にスパンで転勤があれば、同じ職場に10年もいる人がいなくなる。
すると、会社のルールやマニュアル以外の独自ルールのような悪習は発生しにくい。
これは、働いている方なら実感できるであろう。
長く同じ場所で働いていると感覚がマヒする。
長く同じ場所に留まっていると、どうしても自分本位な働き方に誰でもなる。
それに、職場内で古くなれば、古くなるほど指摘・注意されなくなる。
古株になれば、多少のことは目をつむってもらえるようになるのも、独自ルールに拍車をかける。
そして、気付いたときには古株の方が、手に負えない古狸に変貌してしまう。
乱暴ではあるが、おおむね職場の厄介な、ベテラン社員はこんな感じでできあがる。
そうならないためにも、定期的な人の入れ替えは必要であると私は思う。
それが無理な会社なら、最低でも部署を変える。
担当を変えるという動き、変化があったほうが良い。
同じ業務をひたすらやらせるのは、会社内で「不正」を誘発しているともいえる。
②引っ越しの必要な転勤は基本いらん。
例外を除いて、引っ越しが必要な転勤など無意味である。
車でいける距離、公共機関で通える距離で十分である。
それについては、二つの理由がある。
A 社畜労働者の負担が大きい。
働く側の負担が大きすぎる。
引っ越しには、多大な労力が必要である。
それに、独身者ならいざ知らず(独身者でもイヤではあるが・・・)家族がいる場合には、反対もあるだろう。
単身赴任してまで、成し遂げなくてはいけないことか?ただの転勤で何故、引っ越しまでしなてはいけないのだ。私はイヤである。
まあ、その会社を背負って将来、役員や社長を目指す人は別ではあるが、一般的な社員の場合には必要ないと思う。
とにかく、負担が大きいばかりで得るものは少ないのでいらんというのが私の意見である。
B 会社のコストもバカにならん。
それに、人数合わせや、転勤の時期的な理由だけで人を動かすぐらいなら、会社目線で見ても無駄である。
人の引っ越し、転勤には膨大なコストがかかる。
引っ越しにかかわる、膨大な費用、遠方の場合には手当もかさむだろう。
少なからず、会社も負担する必要があるだろう。
それらの費用は、どこから来るのだ??
税金か?
それとも国から支給されるのか?
どれも違う!
その会社で働いている社員の、血と汗と涙の結晶である利益である。
そんな大事な利益を、つまらないノープランの転勤で浪費してもよいのか!
よくないはずだ。
会社の目線でもみても、労働者の目線でも見ても満場一致でダメである。
めったにない、会社と労働者の意見が一致する瞬間である。
すなわち、引っ越しが必要となる転勤は、特例を除いては必要ないのである。
そう考えるだけでも、半分以上の無駄な転勤を削減できると思う。
③お金、水、空気と同じで循環が必要。
人の流れにも、循環が必要である。
お金も回転させないと、経済が停滞する。
川の水も入れ替わらないと、腐敗する。
空気も動かさないと淀む。
そういった意味で、転勤による定期的な人の入れ替えというのは、健全な職場環境には必要な要素である。
実際、私が10年ぐらい前に働いていた職場は従業員が10名ぐらいの会社であった。
勿論、小規模のため転勤はない。
そうなると、年長者、社歴のある人の封建制度が顕著である。(簡単にいうと、逆らえない雰囲気)
まさに、オレがカラスを白といえば白だ!オレがルールだ!という感じ。
それが、人の循環させない環境の弊害である。
全ての小規模の職場がそうなるわけではない。
結局は、そこで働く個人の性質、人間性ではある。
実際、以前働いていた会社は、封建社会(逆らえない空気。)が蔓延していた。(一部の老害どもである・・・)
こんな中で働く社畜の環境は最悪である。
私も体験したから言えるが、パワハラ、セクハラ、ブラック勤務などは当たり前である。
文句を言おうものなら、クビである。
小規模の職場に、コンプライアンスなどない。
苦い思い出である・・・暴言は毎日であったし・・・殴られたこともある・・・
結果。
私は心身とも消耗して、親の進めもあり、退職した。
※ちなみに、退職を申し出た時でも、散々な言われようだった。
心身ともに、疲弊している人間に対して
「社会をなめているのだの」
「人生を逃げ続けている敗北者だの」
「お前等みたいな下っ端に、何でおれらが気をつかわないといけないのだ」
「給与泥棒など」
と犯罪まがいのことを言われた。
今考えると、とんでもないことをいう職場であったと思う。退職して正解である。その会社で働くか、働かないかを決めるのは私であって、会社側が決めるのではない。
会社が決めるのは、雇うか、雇わないかを決めることである。
今でも、我慢して続けていると思うと寒気がする。((((;゚Д゚))))
あっ!そういえば5年ぐらい前に倒産していたな・・・
結局、我慢していても職を失っていたということだな・・・・
何にせよ、沈みゆく船からは早く飛び降りた方が良かったということだな。
④それでも私は「働きとうない」
転勤や職場環境についていろいろ書いた。
人の循環の大事さ、長い期間同じ場所に留まることの弊害について少しでも理解していただけたなら私は満足だ。
だが、私の結論としては「働かなければ」全ての問題は片づくのである。
働かずに家で寝ていれば全て解決!
面倒でだるい人間関係。
自由の許されない社畜身分。
社畜10年全てに慣れないし、嫌気がさしている。
やっぱり、私は「働きとうない」。
これだけは譲れない。
私の信念である。
10年経過しても、風化することないブレない心はある意味スゴいと思う。