働きたくねえ社畜パパの子育てと仕事の奮闘記!水面下でセミリタイアを目指す。

子育てと仕事を両立している働きたくない社畜パパです。社畜脱出を願いセミリタイアの実現にも取り組んでいくブログです。

【コミュ障に管理職はつらい】スキルや知識があっても、体質が拒絶しているのでいずれ苦しくなる。

社畜パパのバイルです。


コミュ障に、管理職の業務はつらいよ・・・・
努力や根性、やる気で何とかなるものではないよ。
(私は、やる気すらないが・・・)

人との関わりに全身が拒絶反応を起こす。
コミュ障の体質とも言える。

 

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人の管理の研修を受けても、マネジメントを学んでも
知識やスキルはつくだけで、根本的なコミュ障の体質改善にはならない。
とにかく、「コミュ障」である私に、管理職的な仕事をさせるのは間違っているということ。
最近は飼い主(経営者)からの圧がすごい・・・

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社畜歴が10年を越えたから、人をマネジメントしろだの、何だのと・・・命令を下してくる

とほほ・・・

①「コミュ障」は体質である。

 

「コミュ障」は体質である。
ここに私は断言する!!
医学的な根拠なんざ知らねえ!
私が、そう思うから、そのように診断したからそうなのだ!


自分の体のことは自分で決める。
それだけ。
体質であるため、ある程度の改善はできてもなくすことはできない。


偏頭痛がある。
風邪をひきやすい。
太りやすい。
お腹を下しやすい。
筋肉がつきやすい。
便秘など、体質というものは、その人にしかわからないものである。


当然、偏頭痛がない人、風邪をひかない人には体質の悩みなどわからない。
それに、上に挙げた体質が、気合いや根性で完治することもない。(頑張って少しマシになるか、コントロールできる程度)


多分、気合いと根性でどうにかなる!とでも言うことであろう。
それほど、体質の悩みは、当人しか理解できないものである。
私にとってそれが「コミュ障」である。


人付き合いで消耗する。
人との会話で疲弊する。
人混みで頭が痛くなる。


それらは、努力や経験である程度抑えることはできるが、根本的には解決できない。
「コミュ障」を甘えや、わがままと思うことは間違いであると私は断言する。

無理なものは、無理である。

②スキルや知識は上っ面である。

 

「コミュ障」でも、対人スキルやコミュ二ケーションの知識を学べば、いくらかは対応できる。
(まあ、学ぶ時点で敗北は目に見えているのだが・・・)

だが、それはスキルと知識である。
いわばビジネスの道具みたいなものだ。
上っ面だけなので、次第に無理が生じる。

むしろ、スキルや知識が向上、増えるほどに心の負担は大きくなる。
(人との交流が増えるからだ)


そのたびに、社交辞令、作り笑い、お世辞、交渉、折衝、雑談など全て「コミュ障」にとっては、致命的なダメージになるものばかりである。
だが、一般的に管理職やリーダーという責任者は、実務よりも、上に挙げた人との関わりの方がメインの仕事になる。

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「コミュ障」にとっては、それが地獄である。

つまり、研修などの能力向上は効果的ではあるが、「コミュ障」にとっては無駄であると断言できる。
上っ面のビジネススキルには、何の価値もない。
スキルや知識の向上の終着点に「コミュ障」の改善はありえない。

③社歴が長い人は、昇進すべき論はなくせ。

 

出世したい人はすればいい。
人との関わりが好きな人が、管理職やリーダーをすればいい。

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社歴が長いから、課長、部長という流れはなくすべき。

向いていない人に、管理職をさせるから、うつ病になる。
向いている人は、人との対立、人の指導、教育に喜びを見いだす。

私のような「コミュ障」には恐怖でしかない。
人には向き、不向きがあって良い。


私はそう思う。
「コミュ障」だからといって私は別に負い目はない。
むしろ、自分の個性だと思っている。
「友達ゼロ!」上等である。

 


「コミュ障」には「コミュ障」の長所がある。
特には思いつかねえがな!
構わねえぇ


つまり、向いている人が、人をまとめる役割を担えば良いのであって、単純に社歴で決める慣習はなくすべきだと言いたいだけだ。
これについては世にいる「コミュ障」や「働きたくねえ」と志している方々が納得していただけるはずだ。

適材適所である。
それを、飼い主(経営者)がわかってくれるだけで、ポンコツの落第管理職はなくせるはずである。
私はそう思う。


根本的な性質というものは、生まれもったものだ。
それに逆らうことは、自分の良い部分をも否定することになる。
きっとそれは、お互いに幸せになれないと断言する。