【3歳娘の育児イヤイヤ期卒業!?】パパの安心をよそに、自己主張が激しくなり疲弊の日々。
毎日出勤することに疑問しかない30歳社畜パパのバイルです。
長きに渡る「魔の2歳児」のイヤイヤ期を長女は卒業した。
私は安堵した。
これで少しでも娘の育児が楽になるなと・・・
だが、それはあくまで育児の入り口に過ぎなかったことを後に思い知る。
確かに3歳になるにつれて、何でもかんでも「イヤ」ということはなくなってきた。
だが、安心するのはまだ早い。
「イヤイヤ期」が終了しても3歳の娘は、別に大人になったわけではない。
私の感覚ではあるが、「イヤイヤ期」を卒業すると「自己主張」が激しくなってくるように感じる。
今日はそんなパパの疲弊の日々を発信する。
①イヤイヤ期は終わったが・・・
確かにイヤイヤ期は卒業した。
3歳娘のザビイも、基本的には何でも「うん」と言う。
だが、2歳の頃に比べると圧倒的に、「あれしたい。」「これしたい。」「わたしがするー」などという注文が増えてきた。
私としては「イヤイヤ期」を乗り越えたことで少しは楽になると、勝手に楽観的な予想をしていたので精神的なダメージも大きい。
親としての育児の負担は「イヤイヤ期」は終わっても何ら変わることはない。
経験した人ならわかると思うが、3歳児が出来ることは少ない。
確かに1歳の頃に比べれば出来ることも多いが。
まだまだ大人と比べることなど出来ない。
だから・・・
ぱぱぁーーー これしたげるーー こっちもするよー
断れば・・・
ぎゃぁぁぁぁぁーーー するーーーーー したいーーーー なんでーーーー どうしてーーーー
ともっとややこしい結果になるので、私も話を合わせて。
ありがとう。助かるよ。
などと言っているが結局最後はパパ(私)かママが片づけるか処理するのである。
これは、これで毎日となると大変なのである。
つまり「イヤイヤ期」を卒業しても決して親は楽になることはないということである。
楽になると思っていた私が浅はかなのだろうが・・・
②幼児であることを忘れちゃダメ。
○○期などと探せばいくらでもある。
だが、忘れちゃいけねえことがある。
それは、相手は幼児であるということだ。幼児である限り身体・心が未成熟である。どこまでいってもそうだ。
だから、大人は過剰な期待はしてはいけないと改めて思い知った。「イヤイヤ期」を卒業したからといって何も大人になったわけではない。
そこを私は忘れていた。
まだまだ、我慢も出来ない。すぐに怒る。すぐに暴れる。すぐに泣く。すぐに寝る。といった産まれて3年の幼児である。
何も出来ないのが当たり前である。
つい親は毎日一緒に過ごしていると忘れがちになる。
日々、娘の成長を見ていると出来るように錯覚してしまう。でも、出来ないことが多いことが当たり前である。
その部分を忘れないように今後も娘(3歳児)と向き合っていきたい。
全く今日も朝からあれが食べたい、これが食べたいと暴れていた。
いちごのじゅーちゅのむーーー ばななもたべたいーー ままのぱんもたべたいーー
③3歳娘の育児は「疲弊」するがやらされ感はない。
とにかく、育児というのはストレスも溜まるし、疲弊する。自分の時間もないし、振り回されることなんて日常茶飯事である。
それでも、社畜労働と違う部分がある。
それは「やらされ感」である。
労働は綺麗事をいくら並べても結局は、飼い主(経営者)命令に絶対服従である。これはエリートと呼ばれる人も例外ではない。役職が専務になろうが、部長になろうが一緒である。
いくら頑張っても社畜(労働者)は自分の時間・仕事を自由に決めることはできない。自分がしたいと思うことも出来ない。それに、誰がしても良いようなことが労働の本質であると思う。(世界で一人しか出来ないような労働は、それはそれでビジネスとして成り立たない。)
その点、育児は違う。
育児に「やらされ感」はない。
目の前の我が子が親を求めているのだ。
それに育児の場合、誰でも良いわけでもない。子は親の愛が欲しいと願っている、欲している。それこそ世界で自分しかできない特別なことだと思う。
だからといって、疲労・ストレスがないかと問われると別問題であるが。
子供にとって父親、母親は一人しかいない。それほど親の育児というのは特別なものであると思っている。私の意見だが、たかが労働で家族を悲しませてはいけないと思う。
どっちが大切かと問われたら考えるまでもなく「家族」である。
だから、育児でどれほどのストレス・疲弊をしても何とかボロボロになりながらも育児を遂行できるのだと思う。
明日もつまらない労働を押しつけられると思うと、安定の「働きたくねえ」という気持ちが沸き上がる。
明日会社行きたくねえーーーー