【うぬぼれた社畜たち・・・】売上げを決めるのは立地とニーズである。
バイルです。
それにしても、年々社畜(労働者)の身分に嫌気がさすばかりである。
労働嫌いもここまでくると、あっぱれである。
飼い主(経営者)に振り回される毎日は本当に疲れる。
と現状の報告はここまでにして。
今日は、うぬぼれた惨めな社畜(労働者)のかわいそうな話。
要約しちゃうと、会社の売上げというのは店なら立地、製造業、サービス業ならニーズで決まると断言できる。
それを会社の業績が上向いているときには、やれ
「俺のプレゼンが・・・・」
「俺がおるから上向く・・・」
「売れないものはない!」
「なんぼでも売れる。」
「天才だからな!ベテランやからな!」
などと俺のおかげ的な発言を連呼する。
実際に私が入社した時には、そんな「うぬぼれた輩」がたくさんいた。
①入社した時は業績が右肩上がりだった。だが今は・・・
私が社畜となったのが大体10年前だろうか、その時は会社の業績も良く勢いもあり、綺麗な右肩上がりであった。
そのため、どこの部署に配属されても基本的には、高い成績を叩き出すことができ全てが自分の実力であるような錯覚があった。
(当然、私のような万年労働意欲の低い社畜には、そのような、うぬぼれた気持ちなどない。というかその時から会社の業績に興味はなかった。)
だから、ほとんどの上司は胡散臭い理屈・理論を掲げてさも俺が売上げ作ったみたいな自慢話を豪語していた。
おめでたいことである。
この勢いのまま業績が伸び続ければ良かったのだが、そうは甘くないのが現実である。時は経ち今の業績はというと、見事な右肩下がりである。
もう一度言う。
見事な右肩下がりだ。
こうなると、当然全盛期に自慢話を豪語していた猛者どもの部署も軒並み成績不振である。
当然そうなると皆いつように静かなものである。
というか成績や数字の話なんて忘れたかのような態度である。
おいおい・・・そりゃないぜ~
つまり、いくら能力や優秀な力があったとしても、大きな波には雀の涙ほどの差しかないのである。
差があるのだとすれば、こんな時にでも抜群の成績を叩き出す部署があるはずだが、ないのが現実である。
悲しいばかりである。
②結局は立地と顧客のニーズである。
店舗構えるビジネスの場合は立地が全てである。
立地が悪ければ、いくら良い物、サービスを生み出そうとも最終的な顧客の人数は限られる。
それに、サービスや物についてもそうだ。
顧客(消費者)が欲しいものを提供すれば何も
「売ろう!」と意気込まなくても勝手に顧客(消費者)が買う。
頭イタくてどうしようもない時に、薬が売っていると高い金を払っても購入するだろう。病気で苦しんでいる時に、高額医療で完治すると言われると多額の金を払うだろう。
極論ではあるが、全てはこれと同じである。
悩み、痛み、辛い、苦しいから解放されたい。
嬉しい、喜び、温かい、幸せなどが欲しい。
と思い人はお金を支払うのである。
結局は個人の力で売ったなどは幻想に過ぎず、人はそんな不確かなものにお金を払うのではなく。
自分の欲求に合致しているものにお金を払うのである。
俺が!俺が!というのは残念ながら幻想である。
③大部分の社畜は店舗の出店構想や経営の在り方を変えることはできない。
つまるところ売上げというのは飼い主(経営者)が全て決めているのである。
出店を社畜が決めることはできない。
経営の方針についても社畜は決めることができない。
社畜がすることは、飼い主(経営者)の決めたことや命令に従うことだけである。
これは、部長であろうが平社員であろうが根本的に一緒である。社畜である限り飼い主(経営者)に逆らうことはできない。
なので訳のわからないパワハラ上司に「お前のせいで売上げがさがった!」「信頼を失った!」などと罵倒されても気にすることなどない。
そんな損害など社畜をこき使っている損害に比べたら微々たるものである。
それに、偉そうにいっている上司も明日は我が身である。
経験上何度も見てきているのである。
イケイケの上司が気付けば閑職に飛ばされ「うつ病」で退職なんて珍しくもない。
私はそうはなりたくない。
社畜は言われたことをやる。
それで結果が出ないのは指示を出した上司の責任である。
私はそう思っている。
よく営業会議などでこんな話がある。
「部下が出来ないのは上司に責任だ!」
そっくりそのままお返ししますよ!
ばかやろう!
と心のなかでいつも悪態をついている気の小さい社畜パパである。