【理解不能な縦社会】体育会系の変なルールに呆れしかない。それに、別に覚えたいとも思わない。
社畜パパのバイルです。
社会に出ると、いろんなことがある。
子供の時には、早く大人になりたいと思ったが、実際になってみると不自由この上ない。
子供時代に戻りたいとも思わないが、普通の大人の生活が幸せだとも思わない。
「普通」という観念が問題なのかもしれない。
前置きはここまでにして今日は体育会系の暗黙のルール、先輩、年長者の信じ難い話。
先輩・年長者は特権階級であるとでも言いたげな、振る舞い、態度が私はどうも気にいらない。
不快である。
①先輩・年長者の至上主義
部活の延長かわからないが、先輩・年長者が偉いみたいになっている。
私にしてみれば、それだけで不快だ。
「先輩・年長者に敬意を払う」ということには納得であるが、それと至上主義とは別だ。何故、見ず知らずの人に対して、後から来たという理由だけで、召使いのように扱われなければならない?
遺憾である。
礼儀・敬語は大事だと思う。
社会という組織の中で、多数の人が生活するためには、そういった規律は必要なのもわかる。
だが、召使いのような年上至上主義はいらない。
私は常々そう思っているのだが、みなはどう思う?
②駐車場の出る順番。出勤の順番など。休憩など。
それに、変な暗黙のルールも嫌いだ。
公には、注意・指摘されることはないが、会社を一斉に退社する際には、役職が高い・年長者が駐車場を先に出る。みたいな暗黙のルールがある。
いやいや・・・準備できた人から帰ったらよくね??偶然タイミングが重なったら、譲るぐらいで良くないかと?と思う。
出勤の順番もそうだ。
基本若手が、順番で後の方に出社すると
「よっ!重役出勤!!」
などと嫌みを言われる。
当然、遅刻でも何でもなく、規定の時間に出社している。
自分が早く出勤するのは、自分の勝手であるが、人を巻き込まないでもらいたい。
あなたたちの価値観を私に押しつけないでほしい。
休憩などでも、文句を言われたことがある。
「若い内は、休憩なんていらんだろう。」
「休む暇があるなら働け。」
「上司が休んでないのにお前等が休憩すんな。」
というような感じ。
どういう理屈だよ。
そんな考えが蔓延しているから、過労死がなくならないのだ。
こういった考え・ルールが社会を窮屈にさせている。
そう私は思う。
③社畜会・飲み会で自分の飲み物、食事は自分でとれや!
忘年会・送別会などの食事の席では、ひどい人では、さながら殿様かと思うような態度をとる人がいる。
皿とコップを無言で渡してくる。
入れてこい!ということ。
こういった上下関係の部活の延長のようなルールも気に食わない。大人なんだから欲しいものは自分で取れや!
勿論、自分が尊敬する人に対して食事をよそう、飲み物をつぐといことには賛成である。ただ先輩というだけで、偉そうにされるのが我慢ならないということ。
④あげく、高速道路で追い抜いただと?
これは、私が同僚から聞いた話だが、上司の車を高速道路で追い抜いたという理由で叱責されたらしい。
これが、メインで叱責をされたわけではないらしいが、何やら業務のことで詰められている時に
「だいたいお前は・・・オレを追い抜いただろ!!」
という流れだったらしい。
いやいや、関係ないだろ。
そう私も思うが、上司は真面目な顔で叱りつけてきたらしい。
八つ当たりもいいところである。
これも、体育会系的な考えの延長戦であると思う。
聞け上司は有名な大学の出身らしい。
厳しい上下関係に耐え抜いたスピリッツには敬意を表するが、私たちにそれを押しつけないでほしい。
まったく、こうなると何でもありだな。
その内、昼食のおかずまで文句をつけられかれない。
⑤本当に面倒だ。人間関係はやっぱり嫌いだ。
いろいろ書いたが、伝えたいことは、人間関係が面倒だということだ。
どれほどのホワイト企業だろうとも、人との関わりは発生する。
すると、必然的に何らかのトラブルはある。
それが、私はイヤなのだ。
嫌い、嫌悪という感情よりも、怖い、恐怖、苦手という感情である。
でも、労働をしているとこれはなくならない。
人との関わりは必ずある。
だからこそ、私には「セミリタイア」という道が必要不可欠なんだ。その希望の光がなければ、永遠に続くと感じる、労働地獄から逃れることはできない。
多分、「セミリタイア」という逃げ道がなければ私は正気を保てないかもしれない。
それほどまでに、労働と人間関係が苦手で怖いのである。
明日も働きたくねえ。