働きたくねえ社畜パパの子育てと仕事の奮闘記!水面下でセミリタイアを目指す。

子育てと仕事を両立している働きたくない社畜パパです。社畜脱出を願いセミリタイアの実現にも取り組んでいくブログです。

【会社の綺麗事にうんざり】労働が本当に素晴らしいなら、定年も給与もいらないだろうに。

仕事をしていない人は、性根が腐っている??
労働は素晴らしい!
そんな話題に私は大いに批判する。
今日は、そんな労働に対する批判の話。

①労働は素晴らしいは嘘っぱちだ。

過度な労働は悪だ。
適度な労働は時に気分転換にもなるだろうが、1日8時間なんてものは長すぎる。

準備時間、通勤時間、休憩時間を含めた場合は、拘束時間は10時間を軽くこえる。

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それは、一日の大半だ。
あまりにも長すぎる。
私としては全ての時間を含めて8時間ぐらいで十分だと思う。


それに、労働が素晴らしいと本当に社会全体が思っているのなら、求人難なんぞ発生するわけもない。でも、現実には人が集まらずに苦しい思いをしている社畜が多数いる。
本当に労働が素晴らしいのなら、求人募集なんていらないはずだろうに。
そう私は確信している。
やはり、働きたくない。

②楽しいなら定年の制度もいらんだろ。

本当に楽しいのなら、定年退職制度なんていらんだろ。
あったとしても任意で良いはずだ。

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それに、本当に楽しいなら給与なしのボランティアがもっと活発になっているのではないか。
私はそう思う。


どうあがいても、定年まで働かなくてはいけないという部分の現実逃避だと思う。
実際毎日辛いと思いながらの労働は辛い。
それが、40年間も続くと思うと尚更だ。


それを、ほとんどの社畜は楽しいと自分を騙し生活しているということだと思う。
当然、私は楽しいなんて思ったことはない。

毎日出勤するのが本当に辛い。
冬場の寒い時期は尚更である。


自分を騙さないとやっていけないなんて、社畜というのは、本当に大変な立場である。
私は定年に働きたいなんて全く思わない。

③労働が楽しいなんて建前だ。

労働が尊く、楽しいのなら給与は生活できる最低限でいいだろうに。


「仕事の報酬は仕事だ!」
私は全く思わないが、そういった理屈も通るように思う。


でも、現実には違う。
役職・責任の度合いに応じて報酬も上がる。
これが現実である。
どれほど巧妙に言ったところで、社畜はお金で飼い慣らされるようになっている。


本当に仕事が楽しいのなら、役職が上がっても給与は上がらないはずだ。
でも、現実には家族を養うためにはそういったイヤな役職をしなくてはならない場面も出てくる。


こういった気持ちが社畜サラリーマンの本音ではなかろうか。

④楽しいことで過労死なんてあるのか。

労働が楽しいなら「過労死」なんてないだろ。
この言葉に全てがつまっている。

遊んでいて、趣味をしていて過労で命を落とすことなんてない。
強制的に労働をさせられるから、生命を危険に晒すのだ。


私はそう断言する。
それに、スポーツや趣味に没頭していて仮に命を落としても本望ではないか。(命は失いたくないが。)


強制的にさせられていることで命を失うのと、自発的にして命を失うのとでは結果は同じでも、本人の気持ちと、残された遺族の気持ちはまるで違う。


強制的な労働の中で、命を削るというのはそれほどまでに悲しいことだ。
そう私は思う。


まあ、趣味や好きなことに没頭していて「過労死」なんて基本的にはないだろう。

⑤会社・経営者の口車に乗せられている。

仕事ともに成長。社会・地域貢献!顧客に喜び、幸せを!自分を高める!
などのうたい文句は結局労働者を奮い立たせて、便利使いするための常套句だ。


そうやって労働者をその気にさせ、あわよくばサービス残業や過剰労働をさせ人件費を浮かせるという魂胆が隠れている。

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勤め先でもある、社外研修も
「やる気のある君のために会社はお金を払い研修に行かせてやる。」みたいな空気を出しているが、冷静に考えれば、その研修も会社の利益になることばかりだ。


本人のために、行かせているみたいな空気であるが、その社員が能力が上がり、一番得をするのは誰なんだ??


それは、会社である。
決して本人ではない。
基本的に、社外に出ても通用するような能力なんてものは、簡単に身につくものではない。

資格といっても絶対的に差別化出来るのは、医師免許、弁護士、税理士ぐらいだろう。
それ以外にもいろいろあるだろうが、大半の資格はもっていても、もっていなくても大して変わらないものばかりだろう。


すなわち、資格の研修だろうが、スキルの研修だろうが基本的に利益を得るのは会社である。


ここだけは理解しておかないと私のように痛い目にあう。
入社5年目までは、積極的にそういった研修などを受けていたように思う。

大事なことなので繰り返す。
スキルが上がっても、得をするのは会社である。

⑥結局世の中はお金なのだ。

いろいろな理屈、精神論、生き方など言われても、最後に行きつくのはお金である。

どれほど高潔で素晴らしい生き方をしようとも、お金がなければ世の中渡っていけない。現代社会はそういう場所だと思う。

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例えどんなに慈悲深くても、お金のないものに医療は施してくれない。どれほど心が綺麗でもコンビニでタダで商品をもらうことはできない。


世の中はお金なしでは渡っていけない。
※高潔さや、気高い心を軽んじているわけではない。
 ただ、お金の支配する世の中では効果が薄いとう意 見。人としては最も大事な要素。


私は社会に出て、数年経過した辺りから気づいた。
人としての高潔さと、世の中をうまく渡り歩くスキルは違うのだと。


だから、世の中の動きである労働には、徹底的にお金のためにという気持ちで割り切って行動する。人として行動すると、自分を責めたりして心の病になったり、最悪過労死という結果になる。


そうならないためにも、私は労働の際にはお金のためにやっているという意志を強く持ち、自分の命や健康を、犠牲にしないように細心の注意を払っている。


お金は本当に重要である。したがって日々資産運用と副業でお金を増やす、貯める工夫をしている。これらについても今後ブログで発信していくつもりだ。