【友達ゼロに死角なし!】恐れるな!孤独を愛せ!どうせ社会人になれば「1人ぼっち」である。
びっくりするほど、労働嫌いで毎日、目覚まし時計がなる度に絶望を味わっている社畜パパです。会社というのは出社時間には厳しいのに、退社時間には驚くほどにルーズであることが我慢できない。
話を戻そう。今日は友達ゼロに死角(弱点)なしという内容。
友達がいない。
友達ゼロ。
1人ぼっちだ・・・・
そんな悩みを聞いたことがある。
私も悩んでいたこともある。
だがね。
1人ぼっちや友達がいないことを恥じちゃいけない。
むしろ、誇らしく思わないと。
今日はそんな世間で言う、寂しい人(私)は実は無敵であるというお話。
- ①何故?そんなにも「1人ぼっち」を恐れる。
- ②会社関係でもメリットばかりである。
- ③プライベートでも仲間外れがないので無敵。
- ④経済的にも素晴らしいことばかり。余計な出費もない。
- ⑤自分で全て決めれることができる。時間の支配者。
- ⑥利害の絡んだ友達などいてもいなくても一緒である。
- ⑦人は最後には1人になる。
- ⑧あえて執着するのなら私は家族を選ぶ。
①何故?そんなにも「1人ぼっち」を恐れる。
恐れるな!
「1人ぼっち」は無敵だ。
会社内でも悩んでいる人がいる。
「友達がいない。」「つき合いが少ない」などと悩んでいる。でもね私のような「コミュ障」からすると団体行動は脅威なんだよ。
周囲の人の意見を尊重しながら、無難な答えを導き出し恐る恐る行動する。それに集団には「同調圧力」が存在する。
みんなそうだから「あなたもそうだよね」みたいな空気だ。私はそれがとてもイヤである。
周囲がサービス残業しているから「私たちもしないと」みたいな空気はもっと嫌いである。
でも、現実の会社にはこういった悪習慣がまかり通っている。経験ある人は多いと想う。
「ぼっち」なら、こういった同調圧力も免除される。
そのため、サービス残業、面倒な人間関係もない。
良いではないか。
デメリットがあるとすれば、ちょっぴり寂しいぐらいのものだ。私のような「コミュ障」の場合はそれもありがたいがね。
とにかく、「ぼっち」「友達ゼロ」なんて状況を恐れちゃいけないということ。むしろ、そんな状況にあるなら、その幸運を毎日噛みしめたほうが良いと私は思う。
ぼっち上等!
②会社関係でもメリットばかりである。
会社内でも「ぼっち」「友達ゼロ」「つき合いゼロ」にはメリットがある。
何が良いかというと、終業後の社畜飲みや、休日での良くわからんつき合いがなくなるということ。
終業後に会社の人と過ごすのは、ストレスでしかない。ただでさえ日中に消耗しているというのに、終業後まで一緒となると、どうにかなってしまう。
ましてや休日に顔を合わすなどもってのほかである。
そういったことが、好きな人は良いが私のように「インドア」で「コミュ障」の人間には苦痛以外にないのである。
つまり、私のように人との関わりで消耗する人は「ぼっち」こそが唯一無二の選択なのだと思う。
そのため、私は出来る限り会社の休憩なども1人でとるようにしている。出来ない場合もあるが・・・・
とにかく社内で変な派閥に入らなくてもすむし、トラブルなどに巻き込まれる心配もない。
出世を考えるのであればマイナスかもしれないが、普通に労働する分にはメリットの方が多いだろう。
それに、派閥のようなものに所属したからといって出世が約束されるわけでもない。もともと私のように出世に興味がなければ何の問題もない。
③プライベートでも仲間外れがないので無敵。
乱暴な言い方であるが、友達がいるだけでリスクである。友達がいるということはそれだけで「仲間外れ」「いざこざ」「嫉妬、妬み」「ディスり、ディスられ」る対象になる。
友達がいないと、そういった面倒な人間関係から解放される。そうなると、しょうもないことで心を痛めることもなくなるわけだ。
十分なメリットであると思うがどうだろう?
ちなみに私は満足している。
プライベートでも、ぼっちを貫くことは無敵状態への一歩と言える。
人との関わりがなければ、つまらないトラブルや誹謗中傷によって傷つくこともないわけだ。
「コミュ障」の私には必要な状態と言える。
人間関係の悪い側面としてはトラブルに巻き込まれることが一定の確率であることだ。その分ロンリーウルフの場合そういったイジメのようなトラブルにも巻き込まれない場合が多い。
④経済的にも素晴らしいことばかり。余計な出費もない。
友達がいなければ、余計な出費もない。
お金もかからなくてすむ。
それだけで、大きなメリットと言える。
友達が多ければ多いほど、交際費は増える。
冠婚葬祭などの出費。
関係を継続させるための出費。
など会社でいう維持費がかかる。
人間関係に対して、このような身も蓋もないことを書くのは「人でなし」と言われるかもしれないが事実である。
人との関係を継続するためには、定期的に食事や娯楽の維持費が必要になる。当然人数が増えれば、それに乗じて増えることになる。
つまり、友達がいない。
ひとりぼっち。
などと悩む必要などないのだ。
友達が少ない。
友達がいない。
というのは最大の節約である。
お金の視点から見ても、友達ゼロに死角はない!
そう私は確信している。
まあ、なれない内は寂しいのかもしれないが慣れると癖になり快感である。
私はこのオンリー、ロンリーワールドを愛している。
お金もかからねえので、誰でもすぐになれる。
気が乗らねえ人との交流なんざに、びた一文払いたかねえ!
当然人との関わりに幸せや喜びを感じる人もいるので、そういった人はどんどん交流を深めれば良いと思う。
ただ、私のようにコミュ障で集団での行動にストレスを抱えるタイプの人は、無理に付き合い必要はないのである。
⑤自分で全て決めれることができる。時間の支配者。
社会人になると「時間」の重要性がよくわかる。
何が一番重要かと問われると「時間」だと私は断言する。それほどまでに「時間」は大事だ。
ちなみにその「時間」についても、友達ゼロに死角はない。友達がいないということは、連絡することも、連絡が来ることもない。
その分、時間は浮く。
それに、急に誘われることもない。
休日に外に連れ出されることもない。
気持ちよく昼寝しているときに起こされたりもしない。(下らない会社からの、電話はあるが・・・忌々しい・・)
そう。
友達がいない。
つきあいがない。
というのは「時間」の観点で考えると無敵なのだ。
何も恐れることはない。
堂々と自由な時間を満喫すれば良いだけだ。
友達ゼロはある意味、時間の支配者ともいえる。
少々おおげさかもしれないが・・・
自分で時間の使い方を決めれるという点は、揺るがない事実であることは約束しよう。
繰り返し言う。
友達ゼロに死角なし!!
⑥利害の絡んだ友達などいてもいなくても一緒である。
「利害」というのは、社会人になると顕著に現れる。
学生時代にはなかった感覚である。学生の時はそんな余計なことを考えず、単純に遊びたい人と遊ぶ。
そこに損得の感覚などない。
あるのは自分自身の欲求だけである。
その人と遊びたいという純粋な感情だけである。
それが、社会人になると一変するのである。
つき合う理由が・・・
「この人とつき合ったら得だ」
「逆らったらややこしい・・・」
「こいつとは損だからやめておこう」
「上司だから断ったらまずいよね」
などと純粋なつきあいというのはなくなる。
かなしいことである。
ここからは、私の意見だが、そんな利害の絡んだ友達なんていない方がマシである。
いてもいなくても自分の人生に何も影響しない。
それなら無駄に「しがらみ」を抱え込むぐらいなら私は「1人ぼっち」を選ぶ。孤独であれば余計な人間関係などに惑わされずにすむし、振り回されずにすむ。
私は社会人になりそのことを学んだ。
そのため、社畜5年目以降は会社での「付き合い」には不参加を貫いている。
それでも、何ら影響はない。
むしろ「あいつはそういうのしない奴」みたいな感じで理解され誘われることもなくなる。
ちょっぴり寂しい気もするが、それ以上にメリットの方が多いので気にしない。
⑦人は最後には1人になる。
寂しくても。
会社内で孤独でも、気にする必要などない。
なんせ、人は最後には1人になるのだから。
いくら、友達をつくっても、仲の良い同僚をつくっても、最終的には全員天寿を全うする。私もそうだ。
だから、一時的な孤独なんて気にする必要なんてない。
大きな視点見ると、一時の孤独など小さな、小さな問題であることがわかる。
大きく考えれば「ぼっち」だろうが「孤独」だろうが
「友達がいない」だろうが小さな問題である。
⑧あえて執着するのなら私は家族を選ぶ。
それでも「1人はイヤ」と思うこともあるだろう。
だから、私は家族に執着する。
友達や同僚ではなく家族である。
家族の場合は、特例を除いてはイヤでも一緒にいる。
何かあった場合には法的にも、家族の場合は優先度が高い。
自分の最後を看取ってくれるのはやはり家族。
自分がどうしようもない状態になっても嫌ながらも、面倒を見てくれるのも家族である。
友達や知人は利害が絡むと、どうしても疎遠になる。
そういった理由で私は家族というものを信用して、信頼している。
当然職場の同僚や上司などは少しも信頼していない。
しょせん会社内での人間関係なんて、利害以外での繋がりなんてない。
これは断言できる。
少しでも、自分に対して害があると判断すると経営者(会社)は切り捨ててくる。
これは絶対である。(上司も同じ)
先日も、上司に裏切られて「うつ病」を発症した同僚がいた。長年可愛がられていたのに、部署が変わって利害が一致しなくなった瞬間に閑職に飛ばされて、無視されるようになったらしい・・・・
悲惨な末路である。
まあ、私のように「友達ゼロ」「つきあいゼロ」の万年閑職勤務の無敵社畜には関係のない話しだがな。
私の場合は友達だけでなく、出世もゼロなんだよ。
つくづく失う物がないというのは、無敵であると実感している。
どうかこのブログの読者の方も、この孤独なロンリーワールドに飛び込んで来てほしい。