働きたくねえ社畜パパの子育てと仕事の奮闘記!水面下でセミリタイアを目指す。

子育てと仕事を両立している働きたくない社畜パパです。社畜脱出を願いセミリタイアの実現にも取り組んでいくブログです。

経営者目線を持て!部下を家族だと思って教育・指導せよ!これはあまりに恐ろしい考えだ・・・

社畜になり10年以上になるが、未だに違和感しかない言葉がある。
「経営者目線を持て!」
「部下を家族のように扱い指導せよ!」
そんな馬鹿げた命令について今日は私なりに考えてみる。

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◆記事のポイント◆
・経営者目線を持てというのは都合の良い言葉だ。
・部下を家族と思えは屁理屈だ。
・4人に1人は何らかのハラスメントを感じている。
・理不尽は当たり前ではない。



 

①経営者目線を持てと軽々しくいうが・・・

経営者目線を持て!
そんなことを軽々しく言う経営者や上司がいる。
それについての問題点を私なりに書く。

1.みなが経営者の目線を持ち、個々が判断を下す組織なんて非効率すぎないか?

ちなみに、労働者全てが意識高く「経営者目線」を持つとどうなるだろう?きっと会社内は「カオス(混沌)」と化するだろう。なぜなら、組織の縦社会など関係なく意見が飛ぶ交うようになるからだ。

たとえば会議や業務の決定の場などで・・・

予算は○○で決定しました。

そこで経営者目線の労働者は思い思い発言する。


「納得できません。○○にしてください。」
「○○のトレンドを考えれば、こうです!」
「私は○○が良い!審議をやり直してください。」
「うちの部署はこうだから、これがいる!」
「トイレの数を増やしてくれ!」
「成績が良かったら給与を上げてくれ!」
「あの部署は赤字だからリストラしろ!」

「あいつは嫌いだから解雇しろ!」
「この会社にあの業務はいらないからカットする!」
アウトソーシングに依頼した!」
「休憩室を拡張したい!食堂を併設だ!」
「社員寮を格安だ!」
スマホは無料だ!」
「お抱え運転手だ!」


などなど収拾がつかなくなると思うがいかがだろう?

「経営者目線」と一言でいっても人それぞれである。福利厚生や従業員の労働環境を大切にする人もいるだろう、社員教育を重視する人もいるだろう、コスト削減や採算を優先する人だっているだろう。みんな違うのである。それなのに個人に対して「経営者目線」を持て!というのは正気の沙汰ではない。何の意志決定もできない組織となり果ててしまう。

それならば、そんな回りくどい言い方をせずに、「俺の考えを真似しろ、忖度しろ(そんたく)!」と言った方が潔いのではないだろうか?私はそう思う。往々にしてそういった矛盾した経営者がいる企業はブラック気質だ。コンプライアンスなども上っ面だけになっている場合が多い。格好の良いことだけいって、残業ばかりが増えている企業の典型だ。

bairunn060012.hatenablog.com

 

2.仮にすばらしい経営判断できる人材がいた場合の報酬はどうなる?

仮に、仮に!(大事なので繰り返す)
経営判断を下せる人材がいた場合、あなたたち(経営者)はその分の報酬を支払うのかい??

人には無茶な要求をしてくるくせに、自分たちの懐(ふところ)からは何も出そうとはしない。それはあまりにも卑怯であるし、本当の意味での搾取(さくしゅ)である。

 

本来なら、良い経営判断には相応の報酬がつきものである。それを支払う気がないのなら、そもそも従業員に対して「経営者目線」を求めるべきではない。過剰な要求は許されるべきではない。

「経営者目線」は経営者が求められることであり、労働者に責任を転嫁されるようなものでもないし、ゆわれもない。私はそう思う。今度そんな説教を聞くことがあれば反論してやろうかと思うが、翌日にはデスクがなくなっているかもしれないのでやめておく。

これが笑い事ではないのが社畜の身分の悲しいところだ。

3.つまるところ自分の思うように動いて欲しいという願望ではないか?

結論としては、結局は自分のような「経営者目線」をもって行動しろ!ということである。

なんて都合の良い話なんだ!

安い給与で雇用して、経営者のような判断を下すことを求め、さらに単純労働で長時間拘束しようとしているのだから、悪の所業である。そんな馬鹿馬鹿しい要求なんぞ右から左へスルーである。

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今後そのようなことを言われたら、また無茶なことを言っているなぐらいで軽く受け流すしかないと私は思っている。

だって、言ってることは
「右を見ながら、左も見ろ!上を見ながら、下も見ろ!」といっていることと同じだから。

経営者と労働者の身分の違い、考えの違いは、表と裏、光と闇、水と火ぐらい違うし相反するものだと私は思っている。

②部下を家族だと思えば、指導する時にも熱が入るだと?

部下を家族と思え!
他人だと思うから放置するんだ!
そんなもっともらしいことをいってくる経営者・上司がいまだにいる。

私としては・・・
「いやいや会社でしょ、家族じゃないでしょ」
「それに他人だからこそ、許せることだってあるでしょ!」
「それに相手も勝手に家族だと思われたら迷惑でしょ」

多分、家族の良いところだけを都合良く使いたいだけなのだと思う。

1.受け手にその覚悟がなければ、ただの犯罪である。

部下のことを真剣に考え、家族と思い、とことん指導せよ!一見すごい説得力のある言葉に聞こえるが果たしてそうだろうか?

なぜなら、勝手にこちらが家族だと思い、熱のこもった指導をしたところで、受ける相手(部下)がそんな気がさらさらなければ、ただのうざくて迷惑な奴にしかならない。まあ、これぐらいなら笑い事ですむかもしれないが、これがヒドくなると部下にとっては不快を通りこして犯罪と感じるかもしれない。

家族だと勝手に思い、よかれと思って指導した結果、相手を必要以上に追いつめたり、時には人格の否定までしてしまうかもしれない。そんなことまでしないだろうという意見が飛んでくるかもしれないが、実際に家族には「きつい」ことや「厳しい」ことを言う場面は多々あるはずだ。

家族の場合には、相手側も家族であるという覚悟・認識があるので「きつい」「厳しい」ことが伝わるが、アカの他人にそんなことを言われようものなら、ほとんどの人は心中穏やかではないだろう。

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したがって、家族だと思って相手との距離感をつめ真剣に話すことは双方に家族だという認識がないと成り立たないのである。私はそう思うがどうだろうか?恋愛の場合の、一方通行はストーカーであり、労働ではパワハラモラハラ、セクハラである。

仮に、会社の上司に母親や父親が心配する・叱るような熱量でこられたら私は気持ち悪いし・生理的に怖いと感じると思う。

そう感じるのは私の心がゆがんでいるのだろうか?

2.そもそも親子の間に、パワハラモラハラ、セクハラなどはないだろう?

家族だと思え!
ちょっと待って欲しい。
そもそも親子の間に、ややこしいコンプライアンスなんて壁はない。確かにやりすぎた場合には犯罪にはなるが、基本的に親子の間に○○ハラスメントはない。

そこはどれだけ綺麗事を言おうが、どんな言葉は言われても無視できない現実である。

したがって、部下を家族と思え!というのは「例えば」という表現に置き換えても到底成立しないのである。部下はアカの他人なのである。それを勝手な事情で家族にしてしまうのは双方にとって不利益だと思うし、あまりにも横暴な理屈である。

他人として、適度な距離感を持ち丁寧に接することが大事だと私は思っているし、実行している。

それに興味深いデータもある。

それはハラスメントの被害である。これを見ると4人に1人がハラスメントの被害を感じている。

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出典 4人に1人がハラスメント被害者!他人事ではないハラスメントの現状|保険の無料相談・見直しなら保険クリニック【公式】

これは、無視できない数字だ。職場に100人いれば、25人は何らかのハラスメントを受けたと感じている。ならば、家族だと思い一線を超えた指導、熱烈な教育を行った場合の確率はもっと跳ね上がるのではないだろうか。私はそのように思う。 

3.もっともらしいことをいってリスクを押しつけたいだけだ。

経営者や上司は、そのような指導をしておきながらいざ私たちが訴えられると「行き過ぎの指導云々」などといって私たちを責め立てる。確信できるのは確実に私たちの味方にはなってくれないということ。

それに、私たちに対して理不尽かつ脅迫まがいの指導をしてくる時も同じである。「君のことを思ってだな・・・」みたいなことを言ってくるが、そもそもあなたたちに私の何がわかるんだい?と私は心の中で叫んでいる。

したがって、部下を家族だのなんだのというのは都合良く私たちを使って厳しく指導させ、社畜を一人でも増やそうとしているに過ぎない。それも実際に手を下すのは社畜なので万が一のときはお得意の「部下が勝手にやったことです。当社ではそのような指導は一切行っておりません。コンプライアンス遵守です。」みたいことを、平然といってくる。

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出典 今年起きた有名企業の不祥事と謝罪会見 識者が5段階で採点|NEWSポストセブン

詳しい会社名は伏せるが、必ずといっていいほど不祥事を起こした会社の役員は自分たちの知らないだの、部下に任せていたなどと言い訳をする。そんなことが通用するならば現場の責任者は何も責任をとる必要などないと思う。まあ経営者というのはどこも似たようなものだと思っている。

 

全くとんでもない話である。なので、あくまで部下は他人であるそのため節度ある距離感とコンプライアンスが最も重要であると私は思っている。

部下を家族と思え!
だがね家族だから関係が上手くいくとおもったら大間違いだぜ!と私は声高に叫びたい。

 

③業績好調時と業績不調時には意見が一変する都合の良さ。

 

業績が良い時には「トップダウンだ!命令に従え!言われたことだけやれ!」

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業績が悪くなれば「ボトムアップでいこう。意見を出し合おう。みんなで知恵を出して会社の利益を守ろう。(サービス残業の暗黙の強要)」

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みたいな感じで経営者の方針がコロコロ変わる。

実際に私が勤めている会社はこんな感じ。

業績好調でイケイケのときは、命令に従えない奴は辞めてしまえ!みたいなパワハラを挨拶のような軽々しさで発していた。

 

だが、ここ数年ずっと業績が落ち続けると急に「みんなで考えよう。意見を出し合おう。現場の意見ファースト。お客様ファーストでいこう。」みたいなことを言い出した。どれだけ都合がよい考えなんだろう。

 

業績好調時は自分の経営判断が正しいと自慢して、不調になった瞬間に従業員に押し付けるとは、経営者とはとことん汚いことばかりする。全く元々信じてなどいないが恐れ入る行動力だ。

都合の良い時「従業員目線と経営者目線」を利用するとは本当にとんでもないことだと思う。みなさんも会社で○○目線などというワードが出てきたら、静かに耳栓をしたほうが良いかもしれない。私はそのような言葉が耳に入れば、「また、ムチャで無謀な要求をしてやがる」と思って聞き流している。

 

④理不尽がまかり通る会社の常識。

我慢しろ!
忍耐だ!
左を見ながら、右も見ろ!
「できません。」は辞書にない。
言われたことをやれ!
上からの命令は絶対だ!
だが、不都合は現場(個人)の責任だ!
などなど理不尽でしかない言葉が会社では横行している。

 

しかも「理不尽」というものが当たり前だという空気さえある。

冷静に考えてみるとおかしなことだ、だって理不尽というのは「理にかなわないこと、態度など」であるから会社の目的・ビジネスの価値とは何ら関係はない。

となると理不尽な現実を発生させている人間が非常識ということではないだろうか?

それなのに、当たり前のように理不尽は未だに存在している。理不尽なこと、納得できないことでも組織の中では当たり前であり、社会人であればそれを「はい」の二文字で解決して実行していかなくてはならない不思議な常識が会社内にはある。

きっとこのような違和感を持っている人は私だけではないはずだ。恐らく、こういった間違ったガンバリズム(根性論)がブラックな勤務、サービス残業のようなものを助長しているのだと私は思っている。

bairunn060012.hatenablog.com

根本的な部分が変わらなければ、会社は変わらないのだと思う。まずは理不尽なこと筋の通っていないことを当たり前に、反論して論理的に建設的に話し合える環境の実現こそが大事なのだと私は思っている。(現実にそんなことをしたら、「あいつは生意気だ!」とか言われるだろうが」

 

繰り返し言うが、理不尽は耐えるものでも、我慢するものでもない。当たり前の話し合いなどで解決していくものである。そうは思わないだろうか?それにそんな会社は遅かれ早かれ淘汰されることになる。

bairunn060012.hatenablog.com

 

理不尽などなくてもビジネスは成立する。なぜなら理不尽は別にビジネスとは無関係だからだ。ならば、理不尽などなく物事を遂行することのほうがより良い社会をつくると思うのは私だけだろうか。

理不尽という悲しみの連鎖をどうか未来の子供たちに受け継ぐことのないように、せめて私は理不尽に加担することのないよう日々行動している。